Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

人物(小説の)

 多くの小説は、何らかの人物を中心に展開される物語を含んでいます。小説を人物中心に読むのが一般的な小説の読み方であるとも言えます。太宰の『斜陽』はかず子の小説であり、『人間失格』は大庭葉蔵の小説である、という具合です。従ってかず子の心理を分析したり、葉蔵の経歴を精査したりする読解方法が求められるわけです。

 確かに、ある程度はそれらの分析・精査は有効でしょう。でも、書かれていないことまでは、いくら分析しても推測の域を出ません。現実の人間であれば当然、調査できるようなことでも、虚構の人物にはできないことが多いのです。人物の「真相」の追究よりも重要なことは、その人物が小説の物語全体の中でどのように位置づけられ、機能しているかでしょう。

 でも、小説を読む際に、常に「位置づけは」「機能は」と意識していくわけにもいきません。人物という要素じたいが多面的であるように、テクストの読解のプロセスも、また読解の帰結も多層的です。肝心なのは、どこかの水準に固定することなく、いくつもの層を横断して読むことだろうと思います。

 私の大学1年次向けの最初の授業では、概ね、「語り手は作者ではない」「人物は現実の人間ではない」「どちらも言葉によって喚起される虚構の対象である」というお話から始めることにしています。