Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

メタフィクション3

 メタフィクションはフィクションの一種ですが、逆に、フィクションこそメタフィクションの一種だとも言えます。今・ここにある記号は、記号である限りにおいて表意作用を行いますが、それがどのような意味であるかは、概して一義的には決めることができません。「JAZZ」という記号は、音楽のジャズのことだと理解されることが多いでしょうが、私が今、念頭においていたのは、「FIT」の外国名でした。すなわち、車の名前です。

 「JAZZ」が何を示すのか分からなくても、「JAZZ」という文字の連なり、時として発音は分かります。それは記号の自己呈示であり、シニフィアン(表意体、記号表現)に属します。シニフィアンに限定した記号の機能は、記号それじたいを指し示す機能にほかなりません。つまり、どのような記号でも、それじたいを指し示す機能において理解することができ、それこそが、記号の最基底をなすということができます。

 このような、記号が記号じたいを指示する自己呈示に着目して記号を見るとき、記号は記号についての記号ということになり、すなわちメタ記号と呼べます。テクストをメタ記号のシステムと見なすことによって、どのようなテクストも、それじたいについてのテクスト、いわばメタフィクションと見ることができるわけです。何かを呈示するフィクションは、それじたいを呈示するメタフィクションの一種である、というのは、このような事態を指します。

 これを私は、メタフィクション思考と名付けてみました。この発想により、メタフィクションは特定作家の所産から、広くテクスト的営為全般に拡張することができ、逆に、特定作家はそのようなメタフィクションの純粋化を試みたのだ、と考えることもできます。あなたのよく知っている小説・詩・映画を、このようなメタフィクション思考によって、別の角度からとらえ直してみませんか?