Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

ミメーシス

 プラトンが『国家』において、詩人を理想国家から追放すべきと述べたのは有名です。プラトンによれば、詩人はミメーシス(真似)を得意とし、人の行為を真似して表現するが、真似はえてして悪い部分、劣悪な性質に偏りがちだというのです。(子どもが親の悪いところばかりを、すぐに真似するように。)詩には民衆教化の利点もあるが、詩が自らを弁明することができないでいる間は、詩人を追放せよ、ということになります。

 ちなみに、真似に対して単純な語り(ディエゲーシス)があり、ホメロスはこれが優れていたと評価されています。ジェラール・ジュネットは真似を直接話法、単純な語りを間接話法としてとらえ、ウェイン・C・ブースからジュネットに至る語り論において、ミメーシスはshowing(物語内容)、ディエゲーシスはtelling(物語言説)と言い換えられ、『国家』は語り論のはるかな先駆として位置づけられます。語り論が追究したのは、tellingの詳細であるわけです。

 さて、アリストテレスは師プラトンの詩人論を、まさに詩に弁明させることによって反転したのです。『詩学』によれば、ミメーシスはミュートス(物語)を生成するメカニズムです。悲劇や叙事詩において、物語は歴史のように現に起こったことではなく、起こる可能性のある出来事です。何がどのように起こる可能性があるのかの認識には、人間と世界に関する哲学的洞察が不可欠となります。その意味で、詩は歴史以上に哲学的である、とされるのです。

 アリストテレスのミメーシスは真似ではなく、現実に対する哲学的省察の結果として、人の行為とは何であるかをその本質においてとらえ、イメージによって表現する機構です。それは、現実から物語の言葉が発生する根元の力でもあります。ミメーシスは形象による対象呈示と言えます。また、ミメーシスとディエゲーシスとは区別されず、語り方の諸相も、ミメーシスの多様な方法として分類されます。

 『詩学』にはミメーシスを自然の模写・模倣などとする記述は一切ありません。ところが、歴史上、一時期の狭隘なアリストテレス解釈が今でも残り、誤解が多いようです。ポール・リクール『時間と物語』の、豊かな『詩学』解釈をおすすめします。より美学的には、竹内敏雄『アリストテレスの藝術理論』が秀逸です。なお、私の『フィクションの機構』の根元的虚構論は、一種のミメーシス論でもあります。