Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

手すりにも一度

 当時古かった中学校の教室では、冬になると石炭ストーブが焚かれました。天井を這うように銀色のダクト(というか太いパイプ)がわたされ、早めに登校した生徒の中には、ストーブのトレイに足を投げ出すようにして本を読むものが幾人かありました。そのようにして私が読んだ最初の本は、おそらく、父の本棚から拝借した『啄木歌集』でした。

 ……泣けとごとくに……

 賢治の人気がずっと続いていますが、当時はそんなでもなかったように記憶しています。小学校の副読本に、一種の二宮尊徳みたいに紹介されていたりして。むしろ、賢治が和歌を作った際に、中学校の先輩である啄木の影響から、三行(あるいは四行)の分かち書きを試みたように、まず啄木を読むのが、その頃、その地域での文学入門の基本だったのです。

 ……お城の草にねころびて……

 父の本棚には、汚くよごれてしみになった文庫本がたくさんありました。父は、引っ越しの際に水たまりに落としたんだ、と言っていました。そんなことあるんだろうか、と疑って、これは終戦時、中学生くらいだった父の戦後の混乱体験の刻印なのだろうな、と感じていました。その本棚から持ち出した、ゴーギャンの画集の裸婦も、子どもの私にはものすごく印象深いものでした。

 ……かろきに泣きて……

 啄木の歌には、物語性があると感じられました。一つ一つの歌が、ある物語の一場面のように思われるのです。ずいぶんと、人の心のあり方を、それらの言葉からくみ取ったように覚えています。あの薄暗く古い木造の校舎は、その後すぐ建て替えられ、石炭ストーブも今では見られなくなりました。私の心の奥底の層にある、出会いの思い出です。