Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

空中都市

 修士課程のとき、演習の担当で横光利一の「蠅」を発表しました。8階の研究室に戻るときに先生とエレベーターで一緒になり、『上海』を読んで圧倒されたとお話したら、先生は、あれは最近、都市文芸学ということで話題になっています、と言われました。しかし、私はそのことを全く知りませんでした。それは、私が修士学位論文を書くべき年でした。

 その後、前田愛氏が、『現代思想』に、「空間のテクスト テクストの空間」という理論論文を発表し、また『文学』に掲載された『舞姫』論「BERLIN 1888」などの論文も目にとまるようになりました。けれども、全くの初学者で学会にも行ったことのなかった私は、遠く東京あたりで何が問題になっているのか、関心すら持たず、もっぱら目の前の課題に取り組んでいたように思います。

 その年のクリスマスの頃、生協の文系書籍部の棚で、一冊だけ置かれていた堂々たる造りの本を手に取って、私は文字通り瞠目しました。前田愛著『都市空間のなかの文学』。その巻頭には「空間のテクスト…」が置かれ、先生が仰っていた「SHANGHAI 1925」をはじめ、二葉亭・漱石から『なんとなく、クリスタル』まで、日本近代文学史の問題作を、一貫して都市空間論から論じきった珠玉の論考群が収められていました。

 「空中都市」は、そのカバー表紙に使われていた、M.C.エッシャーの作品です。エッシャーの画集も見ていたのですが、不思議とこれは記憶になく、まずカバーの見事さにも圧倒されていました。さらにその本を読むのは、若い私にとっては、なおのこと苦行でした。縦横無尽に導入される知のコード。それは、20世紀先端文芸理論の結晶として、日本近代文学における金字塔と言えます。まだ読んでない人には、ぜひ一読をお勧めします。

 このほか、『幕末・維新期の文学』『近代読者の成立』『樋口一葉の世界』『成島柳北』などをも収めた、『前田愛著作集』(筑摩書房)も、数々のインスピレーションの宝庫です。それらは、今でも全く古びていません。新潟大学で日本近代文学会が開かれた際、前田氏は発表をして、聴衆との間で同書をめぐる応酬がありました。そのとき参加した私は、初めて「御尊顔を拝した」のですが、結局、言葉を交わす機会はなく、前田氏はその数年後に亡くなりました。