Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

法=差別(物語2)

 物語は共同体と深い関わりをもつ、とする考え方があります。もともと、モノをカタルという行為じたいが、人と人とを結びつけるコミュニケーションの重要な役割を担います。これに関して最も明快な定義を行ったのは、中上健次でしょう。『風景の向こうへ』に収められた「物語の系譜」では、物語は〈法=差別〉と同義である、とする思考が見られます。また、蓮實重彦氏の一連の著作では、物語は「紋切型」や「説話論的磁場」などと関連づけられます。それらは誰が何のために語っているのか分からない、共同体における幻想の契機です。

 物語はこうして、一種の文化的・制度的なパラダイム、あるいは、人間と社会に関わる暗黙知に加担するジャンルと見なされ、それを相対化することが求められます。中上において、例えば谷崎は「物語のブタ」と呼ばれ、物語の〈法=差別〉性を十分に知り尽くした希有の物語作家である反面、物語の〈法=差別〉に単純に依存・惑溺し、それを対象化することを怠ったとして批判されます。中上の『重力の都』連作は、「春琴抄」「吉野葛」ほかを下敷きとして、谷崎的世界を、いわば谷崎以上に臨界域を超えて突出させたオマージュにほかなりません。

 他方で物語は、自我や個人の表出という狭隘な分野に自らを幽閉したジャンルである文学を内破させ、いわゆる近代的な思考や表現を組み替えていく契機として再評価もされます。〈法=差別〉との抵触を語る物語は、必然的に異なるレヴェルの思考や表現との間の交通を内在させているからです。また小説は、他者・外部との交通を核心とし、文学なるものを解体へ導く、現代的な物語のジャンルである、と認められます。物語の見方において、中上は伝統との連続性に、蓮實は現代への関与に、より重点を置きますが、あい通じる要素が多いと言えます。

 ところで〈法=差別〉の言説は、物語だけではないようにも思われます。詩も劇も、映画もアニメも、ジャンルとしての表象は、いずれも何らかの形で〈法=差別〉に関与します。ジャンルがジャンルとして公共的なものとなるためには、それが少なくとも、ある共同体における制度に抵触する場合です。私的ジャンルなるものは、不可能ではないかも知れませんが、意味を持ちえません。対象を、何もかも物語というタームで語ることもまた、物語へのある種の惑溺かも知れません。