Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

満潮になると河は膨れて

 院生時代、演習で横光利一の「蠅」を担当した話は前に書きました。それ以前からも横光は気にかかる作家ではありましたが、文庫本で出ている作品数が少なく、大半の作品は、河出書房新社版の全集が刊行された際に読んだのです。最初は、大学図書館に入ったのを、演習の際に読んだのでした。当時は、演習で1作品を担当する場合にも、全集くらいは読破しておくのが理想とされたのです。

 『日輪』はよく分からず、『寝園』以下のいわゆる純粋小説群は、どの方向から読んだらよいか曖昧だ、と感じた覚えがあります。『旅愁』にはそれほど違和感は感じませんでしたが、どこが面白いのか疑問でした。……私が衝撃を受けたのは、『上海』と、「春は馬車に乗つて」などの瀟洒な短編群でした。特に『上海』に関しては、世の中にこんなテクストがあったのか!という驚きでいっぱいでした。

 全集版の『上海』は総ルビで、中国に取材した語彙が満載され、特に、食材・珍味の名称が羅列された箇所などでは、キラキラしたルビが、まるで宝飾のように踊って見えました。人や事態すら物象化して投げ出す、典型的な新感覚派文体です。また、主人公・参木と彼の周囲の日本人や各国人が個性的で、参木の冒険は、ほとんどハードボイルド小説のようでした。村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』と似てるな、と、読んですぐに思いました。

 しばらく経って、就職してから、『上海』とジュリア・クリステヴァの理論を結びつけて論文を書きました。ずっと有島武郎論しか書かなかった私が書いた、それ以外の作家のテクスト研究としては、太宰論の次くらいです。論そのものは、生硬としか言いようのない代物でしたが、自覚的に取り組んだので鮮明な思い出となっています。横光は、歴史的であっても、時の隔たりを感じさせない、効力を持ち続けている作家です。