Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

言葉に付加価値を!

 YU教養教育「詩は滑稽だ」の授業では、詩を読むにあたって覚えておくとよい、比喩の理論や、配置の理論について概説しています。すなわち、隠喩・提喩・換喩・直喩の四大比喩やアイロニー、反復や倒置法などです。たぶん、TUADの文芸研究入門「宮澤賢治の文芸世界」も含めて、「これが教養教育なの?」と感じる人は多いのではないかと思います。確かに、文芸を読む場合以外に、比喩の理論などを必要とすることはほとんどなく、これらは、やや難しいかも知れません。

 しかし、それらで私が一貫して伝えたいと意図していることは、言葉とは、通常、誰にも平等に与えられている利器であると同時に、それを意識して彫琢しようと思えば、どこまでも高めていけるような価値をも帯びているという事実です。すなわち、研究や開発がそれじたいや商品に対して、新たな付加価値を付与することを目標とするように、言葉にも、付加価値を付けていけるのだ、ということにほかならないのです。そして、漫然とただ歩くだけでは、いっこうにカロリーを消費しないように、言葉にも、努めて意識的に向き合わなければ、なかなか付加価値どころではないのです。

 それは、哲学者が「ノイラートの舟」と言うように、大洋で船が故障しても下船して修理するわけにはいかず、それに乗ったまま何とか策を講じなければならないのと同じく、一旦、言葉を使うのをやめて洗練作業を行い、それから言語使用を再開する、などということはできないことにも原因します。一挙に、爆発的に改善することはありえません。しかし、日頃から言葉に留意して、言葉の付加価値とは何かを自分なりに意識することによって、徐々に、言葉は変わってくるのだと思います。

 もっとも、幾ら恋愛小説を明晰に分析したからと言って、上手な恋愛ができるようになるわけではなく、比喩の理論を勉強しても、それだけで巧みに比喩を操れるというものではありません。どんな技術でも、それを身につけるためには、一定のトレーニングを経る必要があります。ただ、そうしようと思えば、その機会は、そのへんに幾らでも転がっています。何せ、相手は言葉です。言葉を使わない限り、毎日、暮らしていくことはできないのですから。

 言葉に付加価値を! 私の授業の、共通目標はこれです。