Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

色っぽい文章(言葉に付加価値を!2)

 大学では初年次の導入教育における、基礎的スキルを育成する授業開発が盛んで、コンピュータリテラシー、英語能力のほか、言語運用に関するセミナー型の授業が、広く行われています。人に読ませるべきリポートを書いても、いっこうに感想文の水準を出ない、というような学生が、そのまま専門課程や社会に出て行っては困るわけです。

 それは当然のことです。けれども、私は単に中性的で公用書向けの文体を養う仕方には疑問を持っています。むろん、そのようなものも書けなければならないでしょう。けれどもまた、それしか書けないというのは、結局、文化の断念なのではないでしょうか。一義的に情報を伝達するという思想には、言葉というものが本来そうはできていないので、無理があるというだけではありません。言葉が付加価値を得て、新たな文化を創出する場合、言葉は、伝達の水準から大きく飛躍していくはずなのです。

 私は「色っぽい」文章が好きです。こんな風に書くと、ジェンダー批評家からたたかれそうですが、別に書き手の性にこだわっているわけではありません。

 内容の伝達という地平を超えて、その人の、テクストや世界への、深い関わりのあり方を共示するような文体、それは、その人の愛をにじませた、「色っぽい」文章になるはずです。そのようなものを書くためには、ただ書くことの技術ばかりを修練していてもだめで、テクストや世界との間で、慈しみにも似た、魂のやり取りを交わすことを心がけなければならないでしょう。大学でもそのような指導ができるでしょうか? もしかして、文学や表象の時間なら?

 そのような文章はまた、私のあこがれでもあります。私もまた、そのような文章を書きたい。