Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

鎮魂歌

 私が中学生の頃、何か本でも買えと言われて、盛岡市肴町の東山堂書店の仮店舗(当時、新築中でした)のプレハブで、初めて買った単行本は、『ヒロシマの証言』という被爆記録集でした。それは、学生・主婦・労働者などが、突然の災厄に見舞われ、どのようにして生き延びたのか、また町がどのように壊滅し、人がどのように死んだのか、多数の人の証言から成っていました。

 なぜそんなものを買ったのか分かりません。写真集『決して忘れはしない ナチス虐殺の記録』や戦記文学を見て育った関係かも知れません。私が『フィクションの機構』に収めた原民喜論を書いたきっかけは、立原道造論などと同じく、院生時代に学生同士で開いていた小研究会で、「鎮魂歌」の発表を聴いたことです。その発表に私は満足できず、いつか、自分の「鎮魂歌」論を書いてやろう、と心に決めていました。

 私は「鎮魂歌」のものすごさに感銘を受けていました。もちろん、原作品で最も有名な「夏の花」連作も読んでいましたが、『ヒロシマの証言』を中学生時代に繰り返し熟読していた私は、「夏の花」に、それ以上の感動を覚えた記憶はありません。『ショアー』が出たとき、『ナチス虐殺の記録』を見ていたからか、そこまで驚かなかったのと同じように。あるいは、証言記録と、文芸テクストには、求めるものが違っていたからかも知れません。

 今の職場に勤め始めた頃、有島武郎研究会が広島で開かれました。文学散歩の途中、なにげない街角に、原の小さな文学碑を見つけました。一念発起して、夏休みの暑い時期に、毎日毎日、少しずつ書き繋いで、100枚の論文を書きました。その論文は、原のテクストから、被爆体験の衝撃的な事実性を取り去ったとして、後に残る文芸性とは何か、というようなスタンスです。後に残るもの、それは、レトリックでした。戦前期から、原は幻想コントを量産した作家だったのです。原民喜論は、自分でも気に入っている論文の一つです。

 それにしても、「鎮魂歌」という小説はすごいですよ。近代文学で3本の指に入ると思います。まだの方は、ぜひお読みください。