Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

たえず企画したえずかなしみ

 中学入試用に買った国語参考書の巻末に、「雨ニモ負ケズ」が収められていました。私はその頃、それを全文暗唱できました。でも、私の知っている宮澤賢治の詩はそれだけでした。

 小学校の夏休みの副読本に、「宮澤賢治の愛」のような挿話が載っていました。郷土の偉人なんだな、優しくて偉い人だったんだな、という印象でした。父の書架に、例によってボロボロの文学全集の一冊として賢治の巻がありました。これしかないの?と聞くと、父は、ミヤザワケンジは抹香臭くて好きじゃない、と言いました。

 文学部に上がると、周りには賢治を研究する学生がいました。ただ、それほど多くはなかったと思います。伊東静雄の方が多かった……変な研究室でした。先輩から、天澤退二郎『宮澤賢治の彼方へ』の話を聞きましたが、それが理論を仰いでいたモーリス・ブランショの『文学空間』ともども、読んでも全然意味の分からない、謎に満ちた研究書でした。

 いったい、私は宮澤賢治と、いつ出会ったのでしょう? 覚えているのは、助手時代、執務する机の前に「薤露青」(かいろせい)をワープロで打って貼ったことです。だから、25歳くらいまでの間には、どこかで「出会い」を体験したはずです。その詩を読んで、同僚の助手が、これは誰の詩だ?、と尋ねました。賢治のテクストでは、有名なものではありません。しかし、私の一番好きだった詩です。

  みをつくしの列をなつかしくうかべ
  薤露青の聖らかな空明のなかを
  たえずさびしく湧き鳴りながら
  よもすがら南十字へながれる水よ

 賢治論をいくつか書いた後、TUADの同業者からご招待があって、その大学で開かれたシンポジウムに参加しました。憧れの天澤さんもご一緒で、私は10年以上も温めていた「薤露青」論を発表し、天澤さんにも色々お話を伺いました。そのテクストは、Project M「電子講演録」で読めます。1000円の入場料を徴収したのに、500人ホールが満員になったのです! 私が経験した聴衆としては最大でしょう。忘れられない日です。

 「出会い」のない出会い。でも、確かにいつか、どこかで、私は賢治と出会ったはずですよね。賢治のテクストに関しては、私は、「論ずる」という気がしません。いつまでも、ある神秘な現象を、根掘り葉掘り、観察し続けている、そんな感じなのです。

(追記)
 上の「薤露青」論は、今は『修辞的モダニズム テクスト様式論の試み』(ひつじ書房)に収められています。(2011.8.2)