Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

求心的/離心的(レポート・論文の書き方6)

 「文庫本一冊で論文を書く」という言い回しがあります。小説なら小説1作品だけを徹底的に読み込んで、それに対して自分の持っている理論のフレームだけを適用して論じる、という意味です。概ね、〝安直な論文の書き方〟として否定的に見られる論法なのですが、意外にも、というか、私はけっこうこれを理想としています。

 逆に、あるテクストを基礎とし、あるいは、いずれのテクストも基礎とせず、複数の作品や資料を横断して、何らかのテーマについて論じる方法を、離心的論法と呼んでみましょう。テーマとしては、身体とか都市とか色とか匂いとか、何でもよいのです。離心的論法は、特定のテクスト、例えば小説や詩などの文芸テクストを特権化せず、広く文化現象全般を視野に収めるために、昨今のいわゆる文化研究に多く見られる手法です。

 しかし、資料体の広がりは自明の事実ではないので、どのようなテクストを算入するかは、もちろん論者のフレームに依存します。それ以前に、それが十分に説得力を持つのは、資料の量的側面に負う要素が大きい、つまりは知識の量を競うことにもなりかねません。具体的には、研究歴や、資料博捜のための時間やお金や労力にも依存するわけですね。全く同じ資料体について〝再現実験〟するのも相当に困難です。極端な場合には、言わせっ放ししかなくなります。

 私は文芸の体験は他の種類のテクストの体験とは異なったもので、定量分析を受けつけない部分があると思います。(どうもその辺の考え方からして共約不可能なのですが。)共通のテクスト、例えば文庫本一冊を共通の土台として論じあう求心的な論法には、そのような体験の実質を問うという、貴重な意味があります。出発点の条件は同じ、ある意味では最もフェアーなレースです。(というのは言葉の綾で、もっと分析することはできますが、差し当たり。)

 むろん、求心的・離心的の区別は相対的であり、またそれらを適宜配合して、柔軟に対象に対応することが必要なのは言うまでもありません。