Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

癒合(映画・アニメ)

 近未来SF映画は、テクノロジーと人間との関わりを描き、それによって文明の未来を批判的・懐疑的に考察します。そのようなトピックを鮮明に呈示する表現として、人体と異物(機械・装置)との癒合(merging)が挙げられます。例えば、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の映画は、癒合表現の宝庫です。

 TVでも放映される『ザ・フライ』では、男が転送装置で蠅と一体化し、やがて蠅男へと変身を遂げるのですが、結末ではさらに機械と癒合してしまいます。『ビデオドローム』では、主人公は腹に開いた傷口からビデオカセットを出し入れし、拳銃と手とが器官ごと融合します。気色の悪い怪物が登場する『裸のランチ』には、タイプライターとゴキブリのあいのこなどという代物も出てきます。

 実写映画では特撮によってのみ可能となる癒合の表現は、マンガやアニメでは容易に実現できます。現代日本アニメは、癒合表現の解放区です。大友克洋監督『AKIRA』で、鉄雄は右腕が機械化し、ついにスタジアム大にまで増殖肥大します。庵野秀明監督『エヴァ』では、碇シンジらは「シンクロ」という仕方でエヴァと癒合するのです。

 ここに、テクノロジーという便利な道具が、人間の機能を拡張するだけでなく、人間そのものと同一化するほどに発展を遂げた場合に、いったい何が起こるのか、という問いかけが見て取れます。それは、機械の労働者として作られたロボットが、テクノロジーの暴走として人間と対抗するという、多くの近未来SFと地続きのトポスを形成しているのです。

 癒合は、ある種の想像力の類型を示していると思われます。粘液的なもの、液状のものに対する憧れや怖れを、サルトル存在と無』やバシュラール『大地と意志の夢想』などが理論化もしています。もちろん、映像だけでなく、言語テクストや絵画にも、この手法は広く散在しています。