Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

姦通小説2

 姦通を専ら妻の罪と規定した旧法の精神が表現するように、姦通小説の主人公は、典型的には女性です。「有夫ノ婦」が、夫以外の男と肉体関係を持つ行為が姦通の基本であり、姦通小説の定型は、この女性が何らかの形で死(典型的には自殺)を迎えるパターンをたどります。それは、婚姻という規範を逸脱した女性に対する、家父長制社会からの懲罰意識の表現であり、また、ヒロインの運命に対する、小説ジャンルとしての意味付与ともなります。

 このような事情は以前にも書いたことです。しかし、規則には例外が伴い、定型は破られるためにのみ存在します。ましてや、定量分析が困難な文芸ジャンルにおいては、ジャンルの規則そのものが、多分に経験則的な側面を帯びています。このような姦通小説の定型に、容易には当てはまらないようなテクストが、数多く存在するのです。これは、どのようなジャンルの場合にも起こることです。

 夏目漱石の『それから』は、友人・平岡の妻となっている三千代を、代助が奪おうとするという物語です。小説の結末で、この話を平岡の手紙で知った代助の父が、代助に絶縁を通告するのですが、考えてみれば、三千代は代助と姦通を犯したわけではありません。平岡と三千代の間は冷え切っており、平岡も結局は代助に応じるのですから、法的にはどこにも問題はないようにも思われます。表現は精彩で、素晴らしい小説ですが、姦通小説というフレームから見れば、制度と個人、自由と責任の問題を理念的に扱った実践と言えます。

 有島武郎は『或る女』という、ヒロインが死を迎える典型的な破滅型姦通小説を書いていますが、その前に、「石にひしがれた雑草」を発表しています。これは、再三に亙る妻・M子の姦通行為に激怒した主人公が、その怒りを抑えて復讐を決意し、冷徹にM子を陥れ、狂気にまで追い込んでいく物語です。加藤というM子の相手にあてた一通の手紙(訣別状)の体裁を採っています。私はこのテクストが、有島作品で一二を争うほど好きです。しかし、問題は、もはや姦通そのものよりも、主人公自身の嫉妬と復讐の執念深さと、それを実行に移す手練に移っています。

 以後、現代に至るまで、姦通小説ジャンルは様々に変奏され、豊かに展開してきました。姦通は婚姻とメダルの両面をなします。婚姻という制度が持続する限り、このジャンルもまた、変奏されつつ持続していくようにも思われます。