ムラカミアン宣言
別にことあたらしく言う必要はないのかも知れませんが、やはり、いろいろな意味で、敬愛できる作家というのは、そうざらにあるものではありません。それも、同じ時間を生きている、存命中の作家ということになれば、なおさらのことです。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を、第1刷で買わなかったのも、買ってから(第1刷の10日後の第5刷!)一月も読まなかったのも、忙しかったせいもありますが、要するに私は「ハルキスト」と俗に呼ばれるようなマニアではないからです。どちらかというと、ほとんど騒がれていず、多数の若手作家の中の一人だった時代に、(あの小説、読んだことある?)と、仲間うちで純粋に感想を交わしていたのがなつかしいのです。もう、そういう時代が来ないというのは、とても寂しい気がします。でもそれはしようがありませんね。
この小説は、とにかく五月蠅いメディア(ネットメディアを含む)、派手な販売攻勢、そして出た途端の毀誉褒貶、と、話題性には事欠かなかったのですが、内容は、しっとりした、静かな、素敵な作品だと思います。たぶんそれなりの年齢の人なら、多かれ少なかれ(強かれ弱かれ、と言うべきでしょうか。量の問題ではないので)、似たような思いを抱いたことのある事柄が、例によって、誰にも真似のできない繊細な文体と筆致で書かれているのです。もちろん、絶対的に最高の地位に置くべき傑作だなどと言うのではありません。しかしそもそも、現代においてそのようなものがあるでしょうか。またそれ以前に、そんなものが必要なのでしょうか。
思い出して、送ってもらった『朝日新聞』の記事(2012.9.28付)を机の中から探し出して読み直しました。そこで彼は、文化交流は国境を越えて魂が往来する道筋であると言っています。また、安酒は人を悪酔いさせて前後不覚にさせる、安酒を提供して騒ぎを煽るような政治家らには注意すべきであると書いています。このように、落ち着いた、白面(しらふ)の、整った言葉で提言をしてくれる人を、私たちは他に知っているでしょうか。
この文章は、イェルサレム賞受賞スピーチの「卵と壁」の話や、バルセローナ賞の際の「無常と効率」の説と同じように、当該の事件や事態を超えて、あらゆる場合にもあてはまる普遍性を帯びているように感じられます。むろんそれは哲学的な普遍性ではありません。むしろ文学的な普遍性、つまり、比喩や喩えが柔軟な意味の拡張性を備えていて、幅広く事象をとらえる際の普遍性にほかなりません。いや、一言でいえば、要するに彼は、まっとうな小説家なのだ、というだけのことです。
私は好きな作家、好きな作品がたくさんありますし、一つのテクストに対して正しい解釈は複数あると信じています。また、既にいろいろに宣言をしていますから、そのような資格で、ですが、もう一つの宣言をしておくことにします。そして、再び、静かに、しみじみと、(この小説、もう読んだ?)と、語り合うことにしましょう。残念ながら、いつでも安い酒しか飲んでいないのですけど。……
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を、第1刷で買わなかったのも、買ってから(第1刷の10日後の第5刷!)一月も読まなかったのも、忙しかったせいもありますが、要するに私は「ハルキスト」と俗に呼ばれるようなマニアではないからです。どちらかというと、ほとんど騒がれていず、多数の若手作家の中の一人だった時代に、(あの小説、読んだことある?)と、仲間うちで純粋に感想を交わしていたのがなつかしいのです。もう、そういう時代が来ないというのは、とても寂しい気がします。でもそれはしようがありませんね。
この小説は、とにかく五月蠅いメディア(ネットメディアを含む)、派手な販売攻勢、そして出た途端の毀誉褒貶、と、話題性には事欠かなかったのですが、内容は、しっとりした、静かな、素敵な作品だと思います。たぶんそれなりの年齢の人なら、多かれ少なかれ(強かれ弱かれ、と言うべきでしょうか。量の問題ではないので)、似たような思いを抱いたことのある事柄が、例によって、誰にも真似のできない繊細な文体と筆致で書かれているのです。もちろん、絶対的に最高の地位に置くべき傑作だなどと言うのではありません。しかしそもそも、現代においてそのようなものがあるでしょうか。またそれ以前に、そんなものが必要なのでしょうか。
思い出して、送ってもらった『朝日新聞』の記事(2012.9.28付)を机の中から探し出して読み直しました。そこで彼は、文化交流は国境を越えて魂が往来する道筋であると言っています。また、安酒は人を悪酔いさせて前後不覚にさせる、安酒を提供して騒ぎを煽るような政治家らには注意すべきであると書いています。このように、落ち着いた、白面(しらふ)の、整った言葉で提言をしてくれる人を、私たちは他に知っているでしょうか。
この文章は、イェルサレム賞受賞スピーチの「卵と壁」の話や、バルセローナ賞の際の「無常と効率」の説と同じように、当該の事件や事態を超えて、あらゆる場合にもあてはまる普遍性を帯びているように感じられます。むろんそれは哲学的な普遍性ではありません。むしろ文学的な普遍性、つまり、比喩や喩えが柔軟な意味の拡張性を備えていて、幅広く事象をとらえる際の普遍性にほかなりません。いや、一言でいえば、要するに彼は、まっとうな小説家なのだ、というだけのことです。
私は好きな作家、好きな作品がたくさんありますし、一つのテクストに対して正しい解釈は複数あると信じています。また、既にいろいろに宣言をしていますから、そのような資格で、ですが、もう一つの宣言をしておくことにします。そして、再び、静かに、しみじみと、(この小説、もう読んだ?)と、語り合うことにしましょう。残念ながら、いつでも安い酒しか飲んでいないのですけど。……