Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

様式史研究会第50回記念研究発表大会のご案内

 早いものですね。恒例の様式史研究会(第50回記念研究発表大会)を下記の予定で開催します。
 どなたでも参加できます。参加無料です。
 お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。

日時 2008年7月27日(日)13:00-17:00
会場 山形大学人文学部第1会議室(4階)
        
【発表内容】

1)日記型テクストの力
  ―正岡子規『病牀六尺』を中心として―
山形大学附属中学校教諭 加 藤 咲 子

2)「足痕」の消し方
  ―手記としての「痴人の愛」―
山形短期大学専任講師 森 岡 卓 司

3)太宰治ボードレール
東北工業大学専任講師 高 橋 秀太郎

*発表要旨は「続きを読む」をクリックするとごらんになれます。 1)発表要旨(加藤)

 正岡子規の文学革新運動の究極の目的は、〈言葉による、対象物の再現〉であった。子規の文学革新運動は、その死によって未完のものとなるが、一応の到達点としての実践が『病牀六尺』である。『病牀六尺』は、子規が仰臥する病床に淡々と流れる時間を一日単位の小部分に区切り、さまざまな文体を駆使して「写生」することで、死の直前の127日間を再現しようと試みたテクストである。そして、それを可能にした文体の一つが「日記」という形式である。
 『病牀六尺』に至るまでに、子規はいくつもの日記、あるいは日記形式の文章を書いた。本発表では、「獺祭書屋日記」(明治25年~26年)「病牀手記」(明治30年)「雲の日記」(明治31年)「病牀読書日記」(明治33年)を取り上げ、子規の日記型テクストにおける形式の持つ意味について考察する。子規の日記は日録的な性質が強いものから出発し、やがて、新聞・雑誌といったメディアを通して発表する文章の形式として活かされていく。装置としての日記形式は段階を経て獲得されたものであり、その変容の過程を考察することは、子規の文学革新運動の価値を再評価することにつながる。

2)発表要旨(森岡

 谷崎は、その作家人生を通し、「奔放驕慢な女性にすすんで翻弄される男性」という物語の構図を手放さなかった。が、それは、谷崎文学が変化に乏しく単調であるということを意味しない。
 大正期谷崎文学の一つの頂点を示す「痴人の愛」は、「アヱ゛・マリア」「赤い屋根」といった同時期に書かれたヴァリアントというべきテクストを持つ。西洋崇拝、マゾヒズムといったモチーフが忠実に分有されるこれらのテクスト群には、手紙形式の採用、あるいは視点人物の変更等々、語りの枠を巡る実験的な数々の試行を看取し得る。このことを踏まえながら、本発表に於ては、「痴人の愛」というテクストに用いられた手記という方法を中心に考察を行う。無論、単なるナレーションの特質、そこからもたらされる印象の相違といったレヴェルに議論をとどめるつもりはない。むしろ、この語りの枠に対する鋭敏さこそを、谷崎テクストの本源的な豊穣さを支えるものと考えてみたい。

3)発表要旨(高橋)

 自身を日本のボードレールに擬した発言などから、太宰治ボードレールについては両者の近さが何度か指摘されてきている。だが、太宰治ボードレールをどのようにとらえていたのか、さらにはボードレール詩篇をどのような形で作品に生かしたのかについての具体的な考察はあまりすすんでいない。
 本発表では、昭和10年前後と昭和15年前後という二つの時期における太宰治ボードレール理解やその文学のふまえ方の内実を明らかにしたい。考察の対象は、「もの思ふ葦」所収のボードレールに関するエッセイ、小説では「八十八夜」(昭14・8)「鴎」(昭15・1)「善蔵を思ふ」(昭15・4)の予定である。

【懇親会案内】

*とき:7月27日(日)17時00分より
*ところ:「喜扇寿し」
山形市東原4-17-18、山形大学小白川グラウンド向かい、MaxValu小白川店隣)
*電話:023-623-7240
*会費:3,500円(飲み物持ち込み可)