Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

遭遇集

「初めて」の羨ましさ

「私、あんまり読んだことないんですよ。『ノルウェイの森』と、あと、あの……TVから女の人が見えている……ちょっと変わった書き方の」 「『TVピープル』? あ、『アフターダーク』か。確かに変わってるよね。でも、『ノルウェイの森』を読んだのなら、何でも…

「神がいないのならば、私が神だ」

大学に入って最初に受講した講義の中に、ああ、おもしろいな、と思えるものは、一つしかありませんでした。心理学も社会学も国語も、何だかよそよそしいものでしたし、文学という名の授業は取らなかったように思います。高校時代にもけっこう授業をサボって…

土の中の彼女の

何が最初だったのか、この世の営みには、憶えていないことが多いけれど、それだけは明確に憶えています。講談社文庫・黄色い背の『風の歌を聴け』でした。何にせよ、こちらが求めたわけではないのに、(この本を読んでごらんなさい)と言われて、貸してもら…

手にてなす なにごとも

私の高校時代は、吹奏楽と中原中也で明け暮れました。 布の肩掛け鞄には、楽譜と、(またまた)角川文庫の『中原中也詩集』が必ずといっていいほど入っていました。暇さえあれば、それを出しては読んでいました。いったい、それにどこで出会ったのか、もはや…

たえず企画したえずかなしみ

中学入試用に買った国語参考書の巻末に、「雨ニモ負ケズ」が収められていました。私はその頃、それを全文暗唱できました。でも、私の知っている宮澤賢治の詩はそれだけでした。 小学校の夏休みの副読本に、「宮澤賢治の愛」のような挿話が載っていました。郷…

パセリ、セージ、ローズマリー、&タイム

私を吹奏楽に誘った女の子は、ビートルズファンになって私にビートルズを教える前は、サイモンとガーファンクルのファンで、それで私も最初にS&Gのファンになりました。まったく、かえすがえすも、主体性ゼロの中学時代です。 私は外国語オンチで、国際交…

鎮魂歌

私が中学生の頃、何か本でも買えと言われて、盛岡市肴町の東山堂書店の仮店舗(当時、新築中でした)のプレハブで、初めて買った単行本は、『ヒロシマの証言』という被爆記録集でした。それは、学生・主婦・労働者などが、突然の災厄に見舞われ、どのように…

満潮になると河は膨れて

院生時代、演習で横光利一の「蠅」を担当した話は前に書きました。それ以前からも横光は気にかかる作家ではありましたが、文庫本で出ている作品数が少なく、大半の作品は、河出書房新社版の全集が刊行された際に読んだのです。最初は、大学図書館に入ったの…

空のキャデラック

ジャンリュック・ゴダールが『映画史』その他でアメリカ映画、特にスティーヴン・スピルバーグを批判したことは知られています。クロード・ランズマン監督の『ショアー』が公開された後、ゴダールやランズマンの間で映画の可能性が論議され、返す刀でスピル…

ノー・リプライ

中学時代、私を吹奏楽に誘った女子生徒は、ピアノが上手で、おまけに大のビートルズファンでした。その子の影響で、私もまたビートルズファンになりました。毎日、あけてもくれても、ビートルズばかりを聴いていました。 私は1週間続いたNHKFMの昼のビートル…

空中都市

修士課程のとき、演習の担当で横光利一の「蠅」を発表しました。8階の研究室に戻るときに先生とエレベーターで一緒になり、『上海』を読んで圧倒されたとお話したら、先生は、あれは最近、都市文芸学ということで話題になっています、と言われました。しかし…

夢は その先へは もう

暑い夏の日でした。本郷の通りを探し歩いて、その小さな記念館に入ったときには、汗がすーっと引いていきました。その時期には、建築家でもあった詩人が設計した家屋の模型や設計図などが、集中的に展示されていました。すれ違うのもやっとの狭い通路。でも…

乾杯について

東欧出身者の街の若い労働者仲間たち。そのうちの一人は、ベトナム戦争で帰らぬ者となり、他に脚を失った者もあります。弔いの後、彼らは仲間の家に集まり、喪服のまま、ビール、コーヒー、オムレツで乾杯します。缶ビールを開け、コーヒーを注ぎ、オムレツ…

手すりにも一度

当時古かった中学校の教室では、冬になると石炭ストーブが焚かれました。天井を這うように銀色のダクト(というか太いパイプ)がわたされ、早めに登校した生徒の中には、ストーブのトレイに足を投げ出すようにして本を読むものが幾人かありました。そのよう…

ここを過ぎて

私が初めて教壇に立った大学には、「郷土作家研究」という授業がありました。現在ならさしずめ、地元密着ということで珍重されるでしょうが、もともと私は、どこでも(郷里でも、現在も)地元文学なんて考えたこともなかったので、全然ピンと来ないまま、太…

マルメロの陽光

教授と私は、チサンホテルの横の、旅館を改造したような飲み屋で酒を飲んでいました。ユルマズ・ギュネイの『路』と、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』の2本立てを見て、「世の中にはまだ、いい映画というものがあるのだな」と言い合っていました。…

GSボーイ(死語)

私のデスクは7階の窓際にありました。 仕事の合間に、ドゥルーズとガタリの『ミル・プラトー』を少しずつ訳して、コピーで作った同人紙に掲載していました。眼下に図書館の屋根が見えました。いわゆる、ニュー・アカデミズム全盛期のころです。 “浅田彰”と…

太陽があなたを見放さないうちは

大学3年の夏休み、下宿していた恵和町から、私は毎日6時半の始発バスに乗り、仙台駅で乗り換え、仙石線で塩釜の電電公社まで行きました。交換機の列の上に組まれた配電用の足場を使って、火災報知システムを外付けするアルバイトです。バイト要員の仕事は…

白い箱、赤と黒の背文字、カバーは黒、カバー背文字は白と金、そして本体は黄色。新潮社版『カミュ全集』の装丁です。当時、『異邦人』『シーシュポスの神話』『ペスト』『転落・追放と王国』など、アルベール・カミュの主要な作品は、銀色のカバーの新潮文…

裏返せ 俺を

私はコルネットを吹いていた高校の吹奏楽の遠征で山形に来ていて、会場だった県民会館から、クラリネットの先輩と二人、通りを歩いて八文字屋書店に入りました。中高生のころ、詩ばかり読んでいた私は、本屋では文庫本の詩集を真っ先に見るのが常でした。盛…