2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ルソー『新エロイーズ』、ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』、ドストエフスキー『貧しき人々』、ラクロ『危険な関係』……19世紀ヨーロッパでは、各作家の代表作と言うべき作品として、書簡体小説が書かれました。このジャンルの流行の度合が分かりますが、それ…
手紙、日記、手記。これらが文芸テクストにおける3大ドキュメント形式です。いずれも、「隠された真実の暴露」という性格において共通しています。もちろん、「真実」は真実というよりは、物語としての魅力に重点をおいて構築されます。多くの場合、退屈な事…
小説と手紙。人の心を驚かし、人の心を愉しませる、この2大言語形式が結びつくことに、さして疑問の余地はないかも知れません。「世界は小説と手紙(メール)とで出来ている」と極論する哲学者もいるほどです。……もちろんこれは冗談ですけどね。しかし、これ…
文芸テクストに現実の文書の体裁が用いられるドキュメント形式が、実際のドキュメントと異なる要素は、虚構と非虚構との差異と重なる、と前に書きました。これをもう少し敷衍すると、次のようになります。 1)情報の実在性 ドキュメントは、執筆や、発信・…
恒例の様式史研究会(第48回研究発表会)を下記の予定で開催します。 どなたでも参加できます。参加無料です。 お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。 お問い合わせはここにコメントを書き込むか、またはProject Mのメールアドレスまでどうぞ。 日時 2…
メタ姦通小説の傑作、それは、金井美恵子『文章教室』をおいて外にはありません。主人公・絵真の名はエマ・ボヴァリーから来ていて、姦通小説のジャンル的記憶を喚起します。佐藤絵真の夫も娘も、また絵真自身も不倫していて、佐藤家は姦通一家です。ところ…
ジャンルは、どのようなものでも、歴史的かつ公共的なフレーム(枠組)です。言い換えれば、私的ジャンルなるものは、あったとしても意味をなしません。また、ジャンルである以上は、何らかの歴史的・公共的な記憶と関わりを持ち、すなわち、ジャンルは、テ…
姦通を専ら妻の罪と規定した旧法の精神が表現するように、姦通小説の主人公は、典型的には女性です。「有夫ノ婦」が、夫以外の男と肉体関係を持つ行為が姦通の基本であり、姦通小説の定型は、この女性が何らかの形で死(典型的には自殺)を迎えるパターンを…
私の高校時代は、吹奏楽と中原中也で明け暮れました。 布の肩掛け鞄には、楽譜と、(またまた)角川文庫の『中原中也詩集』が必ずといっていいほど入っていました。暇さえあれば、それを出しては読んでいました。いったい、それにどこで出会ったのか、もはや…
休眠状態の掲示板。捨てられたホームページ。主宰者の亡くなったブログ。そのようなサイトも、基本的にはサーバーの管理者が手を加えない限り、半永久的に残ります。そこに他人の情報が掲載されていれば、その情報も、半永久的に人目にさらされ続けます。そ…
小説の人物は人間ではありません。それは、言葉によって作られた虚構の対象です。たとえ現実に実在した人間をモデルにした人物であっても、人物は想像力の所産であり、実在の人間そのものではありません。もちろん、想像力は現実と結ばれている部分もありま…
このセンターが一番混同されやすいのは、教員育成や、教育学部の施設と間違われるケースです。学内的にもまだ認知度が低いのは、後発の発足であり、しかもこれを全学体制の中にきちんと位置づけようとするトップの意識が乏しい場合です。全国の、教育改革に…