Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

コノテーション2

 フリッツ・ラング監督の『M』の冒頭で、変質者に娘が誘拐されるシークェンスがあります。娘がボールで遊びながら道路を歩いていて、男に声をかけられ、盲目の風船売りから人形型の風船を買ってもらう。家では母が、帰りの遅い娘を待ちながら、夕飯の支度をしている。この2つのシーンが、交互にモンタージュされます。やがて、ボールが転がり、風船が電線に引っかかっているショットと、娘を呼ぶ母の声が、誰もいない階段や、アパートのフロアに響くショットが繋がれます。

 ここで、(ERC)RCの図式で、((/ボール/R[ボール])R[娘の誘拐])と書けます。ボールを風船に変えても、また空っぽの食卓に変えても同じです。転がるボールや、電線の風船を見て、なぜ娘が誘拐されたことが分かるのでしょうか。それは、ボールや風船が娘の付属物であったのに、今や主が不在であるからです。ところで、この2つめのRそのものも、さらに無数に分析できます。(((……R[娘の持ち物])R[娘の不在])R[娘の誘拐])などがその例です。このコノテーションは、シニフィアンシニフィエの関係を、付属物からその主への連想によって結びつけています。これは、比喩論的に言えば、換喩(メトニミー)です。2つめのRは、隣接性・因果関係などの結合性質を示します。

 一方、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』で、猿人が投げ上げた武器の骨が、葉巻型宇宙船に繋がれるショットの場合、(ERC)R(ERC)の図式で考えてみましょう。(/骨/R[骨])R(/宇宙船/R[宇宙船])のように書けますが、やはり真ん中のRは、それじたい、R[円筒形の道具]Rと敷衍できます。これは、言うまでもなく隠喩(メタファー)の記号学的表記であり、Rは類似性の性質を示します。つまり、2つの記号が、共通の属性によって結合するのです。この場合それは、[円筒形の道具]という属性です。

 すなわち、コノテーションの結合性質の存在は、Rによって明示されるのです。バルトのERC図式の特長の一つはここにあります。比喩や象徴などの原理を、ここから再考することができるのです。遡って、ソシュールが恣意的であると見なした、記号一般のシニフィアンシニフィエとの関係についても、考え直してみる必要がありそうです。言語学者のエミール・バンヴェニストは、あるラング(国語)内部では、この結びつきは必然的であって、恣意的ではない(ウシは牛であって、午ではない)、ととらえています。そうであるにしても、それはなぜ必然的なのでしょうか。