Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

コノテーション1

 ロラン・バルトは、記号の一般形態をERCと書きました。E(表現)とC(内容)とのR(関係)が記号を形作る、というものです。基礎はソシュール流の2項対立図式ですが、2つの点で優れた表記法です。すなわち、1つは、括弧を用いた表記法によって、コノテーションの構造を明示できること、もう1つは、Rを明記したことにより、シニフィアンシニフィエの結合の性質にまで、注意を喚起したことです。

 コノテーションは「共示」と訳され、記号の表現部分に別の記号が入る記号であり、比喩や象徴がこれにあたります。バルトはこれを(ERC)RCと書きました。たとえば、「男は狼」ならば、「(/狼/=[狼])=[野蛮]」と解釈できます。(//はシニフィアン、つまり音や表記、[ ]はシニフィエ、つまり概念、=は関係とします。)なお、ここでは話を簡略化していますので、比喩論から見れば、「男は狼」は、「男は野蛮」の単なる言い換えではないことはもちろんです。

 エーコの「ウォーターゲート・モデル」とは、ダムの水門に関する記号のあり方を題材として、コノテーションの実態を明らかにしたものです。たとえば、ABという水位の信号(記号)を考えてみると、「(/AB/=[危険水位])=[排水]」という図式が考えられます。「ABという信号は危険水位を意味するが、その高次の意味は、排水せよという指令である」と解釈できます。これは(ERC)RCの形式になっています。

 ところが、排水せよという指令を考えてみると、排水スイッチを押す・排水弁を開く・排水係に電話連絡する・電話の受話器を取る・電話番号をプッシュする……など、関連する行為の、無数の連鎖として分析できることが分かります。すなわち、解釈項の無限の連鎖であり、「ウォーターゲート・モデル」は、エーコの無限の解釈項の例示と見なすことができます。無限の解釈項は、コノテーションの無限性をも説明します。そしてこれをバルト風に書くならば、((((ERC)RC)RC)RC)……となります。

 意味なるものは、このような連鎖のプロセスのほかにはなく、決して実体化しません。固定的ないわゆる意味は、常に、このプロセスの便宜的な停止によって記述されます。これは、表象・言語・文化の多様性・不確定性・相対性の説明にもなります。

 Rのもう一つの特長については、次回に書きます。 [補足] このモデルは、J.L.オースティンらの論じた言語行為、すなわち、発話じたいの行為、あるいは発話が媒介する行為についての、記号学による解釈とも言えます。「私は誓う」という文は、この文の意味とともに、文じたいが行為でもあり、「ああ、寒いな」という発話は、この発話じたいの意味とともに、開いている窓を閉めてほしいという要請でもあります。「ウォーターゲート・モデル」は、これらの事態を記号学的に説明します。