Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

様式史研究会第49回研究発表会のご案内

 恒例の様式史研究会(第49回研究発表会)を下記の予定で開催します。
 どなたでも参加できます。参加無料です。
 お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。
 お問い合わせはここにコメントを書き込むか、またはProject Mのメールアドレスまでどうぞ。

日時 2007年9月17日(月)14:00-17:00
会場 山形大学人文学部第1会議室(4階)
        アクセスマップ1
        アクセスマップ2

【発表内容】

1)大岡昇平『レイテ戦記』研究
山形大学大学院 小島 遥菜

2)〈テレビ〉の前の「政治少年」
  ―大江健三郎「政治少年死す」論―
東北大学大学院 高橋 由貴

3)モダニスト久野豊彦の様式山形大学 中村 三春

*発表要旨および懇親会の予定は「続きを読む」をクリックするとごらんになれます。 1)発表要旨(小島)
 『レイテ戦記』を文体を中心として考察する。『レイテ戦記』は様々な文体で構成され、地図や表もまたひとつの独立した存在であり、作品を作り上げていると考える。また、エピローグやあとがきの性質も考察し、「戦記」という形態に望まれる特性として『レイテ戦記』がパッチワーク文体によって異化された戦記になっているのではないかとし、そのような『レイテ戦記』を受容する読者は、みずからも「小さな端切れの布」となって参加する可能性を秘めているのではないか。
 戦記が、残された遺族だけでなく戦争を知らない世代の人間にも伝わる強いメッセージとなるには、戦争だけでなく、戦争に関わった人々や現代を生きるその他の人々までも対象とした開かれた作品でなければならないだろう。「戦争」という歴史・行為・体験、そして日本と世界の関係性を常に考え続けてきた大岡が残した「その声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けている」テクストである『レイテ戦記』が持つ可能性について考えたい。


2)発表要旨(高橋)
 安保闘争浅沼稲次郎刺殺事件と1960年はまさに「政治の季節」の幕開けだった。文学においても「政治」との関わりから議論がなされ、その中で注目される一人に大江健三郎がいる。彼の「セヴンティーン」「政治少年死す(セヴンティーン第二部・完)」(『文學界』1961年1~2月)は、これらの二つの事件に題材を採っていることからも、当時から現在に到るまで「政治」的な小説としてセンセーショナルに扱われている。
 しかし、実は「政治の季節」は同時に「メディアの季節」でもあった。「政治的」事件は、(皇太子成婚(1959年)を含めて)マスメディアの急速な普及と密接に結びついている。小説内の「おれ」は、そのメディアと接することで《右》の「政治少年」へと変貌を遂げていく。党の機関誌、街頭宣伝のマイクとスピーカー、ビラ、プラカード、カメラ、記録写真、映画、新聞、週刊誌、遺書、死亡広告、そしてテレビと、実に様々な情報媒体がテクスト上で出されていく「政治少年死す」を、このメディアとの関わりから論じる。本発表は、大江健三郎のスタンスを、テレビのカラー放送の開始をはじめとした多様なメディア的話題が同時代の文学に確実に与えた影響を視野に入れて考える試みである。


3)発表要旨(中村)
 久野豊彦(1896-1971)は一般に、昭和5年に活動した新興芸術派の代表的作家の一人と目されており、復刻版や作品集の刊行などが行われ、わずかな論考も発表されてはいるが、その研究は未だ緒についたばかりと言うほかにない。横光利一以上の言語実験と、後年、新社会派文学を経て、経済学者に転向したほどの信用経済学の知識などが、正しい評価を妨げてきたのかも知れない。
 本発表では、久野の業績の検証を中心として、昭和初年代の新感覚派と、昭和10年前後の「文芸復興期」との狭間にあって、現代文学研究のいわば空白地帯となっている新興芸術派の作家と文芸スタイルについて、再検討を行おうとする。その第一段階として、主として新興芸術派時代に至るまでの、久野の活動の実態について、概略を報告することとする。

【懇親会案内】

*とき:9月17日(月)17時30分より
*ところ:「喜扇寿し」(山形市東原4-17-18、山形大学小白川グラウンド向かい、MaxValu東原店隣)
*電話:023-623-7240
*会費:3,500円(飲み物持ち込み可)