Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

第2回日本比較文学会北海道大会のお知らせ

■日時 2009年3月28日(土) 13:00開会
■会場 北海道大学W講義棟 W202号室


総合司会 梶谷 崇
○ 開会の辞 13:00         
北海道支部 支部長 安藤 厚
○ 研究発表1 13:10~13:50
シナリオを書く小津安二郎
 ―海外での翻訳・紹介の事例について―
   早稲田大学大学院博士課程 宮本 明子

○ 研究発表2 14:00~14:40
日本古典和歌翻訳の問題
 ―『伊勢物語』と『百人一首』の英独語訳を中心に―
北海道大学大学院博士課程 マイエル・イングリット
○ 研究発表3 14:50~15:30
金史良の日本語文学作品における表象傾向の〝変化〟をめぐって
  ―創作集『光の中に』と『故郷』の比較を軸として―
                 北星学園大学 宮崎 靖士
 《休憩》
○ 講演 15:45~17:00

翻訳された日本の近代詩
            講師 東北大学大学院教授 佐藤 伸宏


↓「続きを読む」をクリックすると講演・研究発表の要旨を表示します。 【講演要旨】

 2005年に中原中也のフランス語訳詩集 NAKAHARA Chuya, Poemes (Edit. Philippe Picquier)が上梓されたが、これまで欧米において日本近代詩の翻訳詩集は少なからず刊行されてきた。今回は、Anthologie de poesie japonaise contemporaine (Gallimard, 1986)を中心に、英語・フランス語による複数の翻訳詩アンソロジーを参照しながら、日本近代詩の外国語訳がはらむ諸問題に光を当ててみたい。比較文学における翻訳研究に関わる多様な課題に触れることができればと考えている。

【研究発表要旨】

宮本 明子
 映画監督、小津安二郎(1903-1963)は2003年に生誕100年が祝われ、来る2013年には没後50年を迎えるが、彼が綿密に脚本を執筆する作家でもあったことは、これまであまり注目されてこなかった。本発表では、シナリオ執筆者としての小津の、特に海外での紹介状況に焦点を当て、シナリオの翻訳例を紹介する。
 先行研究として、例えばドナルド・リチーは Ozu (University of California Press, 1974)において、既に小津の「直筆ノート」とシナリオを扱っている。この「直筆ノート」とは、作品制作に際し、小津が主としてメモやシナリオ等を記したノートであるが、発表者はこれまで複数の「直筆ノート」について調査を重ねてきた。本発表では「直筆ノート」の内容や特徴についての分析結果を報告するとともに、小津の作品生成過程に着目したリチーの研究について検討する。その上で、「脚本」執筆者としての小津の、現在に至るまでの海外での紹介および翻訳の事例について報告したい。

マイエル・イングリッド
 日本古典和歌の外国語訳は、古典和歌の現代日本語への翻訳や、ヨーロッパ古典の現代ヨーロッパ語への翻訳と比べて、独特な問題点がある。定型詩の場合、形式と内容の両方を目標言語で再現するのは困難であり、翻訳の際そのどちらかをより重視する傾向がみられる。現代日本語への和歌翻訳の場合散文訳が殆どであり、古代ギリシアやローマ文学の詩や戯曲は定型で翻訳されるのが一般的である。しかし、ヨーロッパの読者にとって、古代ギリシア・ローマ文学の知識は教養の一部であるのに対し、平安文学や歴史的・社会的背景に関して一般読者の背景知識は皆無であると思われる。日本古典独特の語彙(目標言語では相当する語彙が存在しないもの、所謂レアリア。広義では掛詞のような言葉遊び等も含まれる。)を、脚注を嫌う英独訳ではどう処理するかは大きな問題である。本発表では、『伊勢物語』と『百人一首』の英独語訳を中心として、そのことを論じてみたい。

宮崎 靖士
 本発表では、金史良が1939~42年初頭にかけて発表した日本語文学作品を対象とし、そこに認められる植民地経験をめぐる複数の表象傾向を明らかにする。更にそれらの傾向を、1930年代後半以降の「内鮮一体」言説や東亜共同体論の展開、および西田幾多郎の日本文化論等との関わりのもとで検討することから、件の複数にわたる表象傾向を〝変化〟として捉え、そのことの必然性や意味、および価値までを論じたい。
 そのような作業はまた、件の事態を、言語化しきれない経験や歴史に関して、それをもたらした国家の中で規範的な価値をもつ言語・表象システムを反復=反覆的に活用しながら、固有の時代・社会状況との関わりのもとで定着しようとした試行とその変遷として分析=記述し、そこから、今日とこれからの文学・文化研究にもち得る価値までを的確に汲み取ろうとする、論者の問題意識に基づく試みでもある。