Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

発表時間の厳守

 古くて新しい研究発表の鉄則、それは、「時間を守る」ことです!

 もちろん、多くの場合、聴衆は発表を待ち焦がれています。期待するからこそ、わざわざ足を運んでくれたのです。では、それに報いるためには、存分に時間を使い、持ち時間を過ぎてもなお、自説を十二分に発表するべきでしょうか? 研究は何よりも優先するのだから、少々の時間超過などは、大目に見てもらうのが当然なのでしょうか?

 これは、誤った考えです。研究発表は、いわば、制限時間のある試合(ゲーム)です。同じ条件で、同じ時間内で発表するからこそ、その研究の本質的な水準が効果的に明らかとなり、また、相対的に評価する場合にはそれも可能となるのです。マッチポイントもなく、いくらでも時間を使ってよい、などというゲームは、世の中のどこにもありません。

 特に考えるべきは、研究発表は、治外法権の特権的な解放区などではなく、様々にプラグマティックな状況の一要素にほかならないということです。発表の後に、質疑応答があるでしょう。その後には、総会があるかも知れないし、懇親会が予定されているかも知れない。聴衆は、ほんとうは次の発表が目的で来場しているかも知れないし、帰りの時刻を気にしているかも知れない。「知れない」ではなく、そう想定すべきでしょうね。

 それに第一、所定時間を超過して長々と行われた発表に、良い発表など、私がこれまで経験した中に一つもなかった、と、はっきり言っておかなければなりません。与えられた時間を効率よく処置できないような人間ならば、与えられたテクストをもまた、効率よく処置できないということです。たいがいの場合、そのような発表は、ムダな部分が必ずあります。

 あるいはそうでないにせよ、重要性の大小に応じて、資料のみに委ねるところ、次回発表に予定するところなど、柔軟に対応すれば、必ず時間内に収めることはできます。発表時間を守らない発表者は、著しくルーズか、あるいは、著しく堅物かのどちらかです。もしかしたらその両方の場合もあるかも知れません。

 そして、研究会等において、司会者の役割は決定的に重要です。司会者は、遠慮してはなりません。時間を守らせるのは、司会者の第一の仕事です。発表者も司会者もいい加減なために、ずるずると長引き、崩壊寸前にまで立ち至った研究会を、私は何度も体験してきました。発表者がやめないので、聴衆が先に拍手を始めたりとかね。これは、醜悪です。そういうみっともないことになると、参会者全員が、イヤな後味を残したまま会場を後にすることになってしまいます。

 また指導者は、この基本を守るように、常日頃から指導しておかなければなりません。(自分が守ることはもちろんです。)研究発表だけではありません。あらゆるコミュニケーションは、それがどんなものであれ、相手の人生の、本来は自由で貴重な時間を奪うことによって成立しているのだということを、私たちは認識しておく必要があるのです。