Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

2009年度 日本比較文学会北海道研究会のお知らせ

■日時 2009年12月5日(土) 14:00開会
■会場 北海道大学W講義棟 W205教室


○14:00 開会の辞
北海道支部 支部長 飛ヶ谷美穂子

○研究発表1 14:00~15:00
映画『一瞬の夢』をめぐって
北海道大学大学院博士課程 劉 洋

○研究発表2 15:00~16:00
柳宗悦―白樺美術館から朝鮮民族美術館へ至る軌跡
北海道工業大学 梶谷 崇

比較文学比較文化 名著読解講座 第一回 16:00~17:00
比較文学とは何か
北海道大学 中村 三春

(「発表要旨」は、「続きを読む」をクリック)
研 究 発 表 要 旨

■映画『一瞬の夢』をめぐって           
北海道大学大学院博士課程 劉 洋

 『長江哀歌(エレジー)』(06)でベネチア国際映画祭のグランプリを受賞した賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、今や最も国際的な注目を集めている中国の若手映画監督である。彼は、一貫して非職業的俳優を起用し、社会の低層に生きる庶民たちをドキュメンタリー的な手法で描いており、国内では、中国の社会現実を鋭く捉えているなどと称えられる一方、海外観客が中国に対して抱えている後進的なイメージに迎合しているといった批判もされている。
 日本における賈樟柯映画の受容はと言えば、たとえば?實重?のように、あくまで彼の映像作家としての才能を評価するものもいるが、より多く目にするのは、その作品を通して中国の社会状況や文化を論じたものであり、その大半は、貧富の差が拡大しつつある90年代以降の中国社会の「生きづらさ」を読み取っている。
たしかに、賈樟柯映画の無力な主人公たちを目の当たりにすると、現実における一部の中国人も同じような絶望的な状況にあるのだと誰もが言いたくなるのだろう。というのも、耽美的な映像を排し、野暮で乱雑な光景を荒々しく映し出したその画面には、これぞ中国だと見るものに思わせずにはおかないほどの現実感が溢れているのだから。では、それゆえに彼の映画は、現実の社会問題を露呈していると同時に、ある種のニヒリズムを助長してもいるのだろうか。
 発表者が思うに、ニヒリズムどころか、どこまでも生を肯定することこそが、賈樟柯映画の最大な魅力なのである。たとえばジャン=ミシェル・フロドンが、「中国の現状をめぐる様々な情報が盛り込まれている」ことよりも、「重要なのは、ある種の微笑ましさ、優しさ、圧倒されずにはいられないパトスが彼の映画のあらゆるシークエンスに浸透していることだ」と語った時に、西洋の「彼」は、現代中国の表象に還元されない何かに魅了されたのではないか。本発表では以上のような視座から、『一瞬の夢』(97)を取り上げ、賈樟柯映画の新たな可能性を探ってみたい。

柳宗悦―白樺美術館から朝鮮民族美術館へ到る軌跡―    
北海道工業大学 梶谷 崇

 柳宗悦(1889~1961)は『白樺』の中心人物として1910年代の日本に数多くの西洋美術を紹介し、20年代以降関心領域を朝鮮美術へ広げ、そして昭和初年代には民芸へと展開していった。以上のような柳の思想展開は、そのまま白樺美術館(1917年に計画、実現せず)、朝鮮民族美術館(1924年開館)、日本民藝館(1936年開館)という柳が関わった三つの美術館設立運動にそのまま符号するかのようである。
 ところで柳の白樺派同人としての活動と、朝鮮での活動の関係性・連続性については、これまで柳研究の中では大きなテーマとして扱われてこなかった。特に白樺美術館と朝鮮民族美術館は、ともに白樺誌上において募金活動等が行われるなど方法において共通しているにもかかわらず、白樺から朝鮮へという柳の活動の軌跡について考察を加えた研究は少なく、むしろ断絶を見る傾向すらあるといえる。たとえば小畠邦江は柳がかかわった三つの美術館の収集品に着目して、「西洋対非西洋という図式」の下に「白樺美術館と朝鮮民族美術館の間の深い断絶」を見出し、逆に「朝鮮民族美術館と日本民藝館は、同じ流れのもとに形成されたと考えられる」と述べている。
 今回の発表においては、特に白樺美術館と朝鮮民族美術館の二つの美術館に着目し、収集品によらず、設立計画の理念や、その活動の実態を通して、再度柳宗悦の美術館設立運動の軌跡について考察を加える。特に、柳宗悦とともにこれらの美術館設立に関わった日本、朝鮮の人々たちとの関係性の中で二つの美術館の連続性と差異を確認し、その上で柳の思想史上における白樺と朝鮮、10年代と20年代の連続と断絶について再検討してみたいと考えている。

比較文学比較文化 名著読解講座 第一回 比較文学とは何か   
北海道大学 中村 三春

 この読解講座は、日本比較文学会北海道支部が、比較文学比較文化の理念を普及するにあたり、「日本比較文学会賞」受賞作品を中心として、比較文学比較文化研究の名著を講読し、その内容を批判・継承することを目指すものである。第一回の今回は、講座開始にあたり、まずポール・ヴァン・ティーゲムの『比較文学』(一九五一、富田仁訳、一九七三・八、清水弘文堂)や大塚幸男比較文学原論』(一九七七・六、白水叢書)などによって比較文学の歴史と伝統的方法論について概説する。比較文学は、一九世紀ドイツ文献学やロマン主義諸学、フランス自然主義批評などに淵源を発し、テクスト、バルダンスペルジェ、アザールらのフランス比較文学として、世紀末から二〇世紀初頭にかけて成立した。その後アメリカで開花するとともに、日本でも各大学で比較文学的な講義が行われた。日本比較文学会は一九四八年に創立されたが、これは世界的にも早い時期であり、文化交流の場として日本文学の特徴の帰結であるとも言える。受容・影響関係を問題とする、フランスで成立した比較文学の基本的方法論は、ティーゲムによれば、発動者・媒介者・受容者の三つの契機について、具体的に資料に基づいて実証を行うことから出発する。ただし、受容・影響によらず類似性を問題とするアメリカ派の対比文学とあわせて、伝統的な比較文学の手法は、二〇世紀末以来の研究方法の流動化の中で、ポストコロニアリズムカルチュラル・スタディーズジェンダー批評などを大きく動員した、より総合的なものへと変貌を遂げつつある。
 今回はこのような比較文学研究の方法論の動態を紹介し、あわせて、日本比較文学会賞のこれまでの展開について概観し、同賞第一回受賞作品である佐々木英昭『「新しい女」の到来―平塚らいてう漱石―』(一九九四・一〇、名古屋大学出版会)の講読へと話を進める。内容の性質上、特に若手研究者・学生諸氏の参加と、活発な議論を期待したい。参加者は、できれば同書に目を通して来ていただければ幸いである。