Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

2010年度日本比較文学会北海道大会のお知らせ

■日時 2010年7月24日(土) 13:00開会
■会場 北海道大学W講義棟 W409会議室


○開会の辞
北海道支部 支部長 飛ヶ谷美穂子

○研究発表 
総合司会 梶谷 崇
森茉莉作品におけるモーパッサン受容―「薔薇くひ姫」を中心に―
北海道大学大学院博士課程 上戸理恵

1950年代の宋美齢―映像と写真から―
北海道大学大学院博士課程 井上裕子

菊田一夫『君の名は』に関する一考察―映画『哀愁』との対比から―
北海道大学 横濱雄二

○講演 15:45~ 
司会進行 中村三春

植民地主義二重言語性─知里幸恵と李箱について─
名古屋大学教授 坪井秀人


ディスカッション―坪井秀人氏を迎えて―

(発表要旨は「続きを読む」をクリック) ■講演要旨

植民地主義二重言語性 ─知里幸恵と李箱について─
講師 坪井秀人(名古屋大学


 バイリンガル(トライリンガル)であることは特権的な言語使用の様態ではあるが、それはしばしば強い圧縮(抑圧)によって主体の意志に関わりなく不可避的にもたらされる。空間の越境者と同じように言語の越境者もまた国家や土地の庇護から見捨てられた、逆説的な意味での〈選ばれし者〉たちである。もともと古代より階層的かつ相補的に異種混淆の文化を形成してきた東北アジア地域は、20世紀以降、日本の帝国化によって、言語的越境、二重言語性の相をモダニティの文脈の中に内包することになった。このことは日本と支配地域の対関係に西欧を第三項として加えた複雑な文化混淆モデルから捉えられるものである。その二重言語性は近代の、知の植民地主義体制がもたらしたものであるが、西欧的なモダニティと世界的同時性のレヴェルで同期化しながらも、そこからの遅れを常に孕むことにおいて、モダニティの中に非対称性を持ち込み、それを脅かし、ひいてはこれまた逆説的にそれを内破する可能性を蓄積させていったと考えるべきではないだろうか。知里幸恵と李箱という、ともに帝国日本の外部/周縁からその内部へと越境していった二人の文学者を例に、以上のことを考えてみたい。

■研究発表要旨

森茉莉作品におけるモーパッサン受容―「薔薇くひ姫」を中心に―
上戸理恵(北海道大学 (院生))


 森茉莉は、1930年代前半に、モーパッサン(Guy de Maupassant,1850-93)の「ル オルラ」(“Le Horla”,1887)、「それが誰に分るのだ」(“Qui sait?”,1890)をそれぞれ翻訳し発表している。茉莉がモーパッサンの文章を好んだことはよく知られるが、森茉莉モーパッサン受容は従来の研究の中では本格的に論じられてこなかった。だが、書くことも含めた自身の体験(とされるもの)を織り込んだ森茉莉のテクストは、彼女が翻訳したモーパッサンの小説といくつかの問題を共有していると論者は考える。
 森茉莉は、自身の体験を小説の形でつづった自己言及的な作品を通じて、「テクストの言葉」とそれが指し示す「テクスト外の対象物」との関係それ自体を主題化した。彼女の最後の小説作品「薔薇くひ姫」(『群像』1976年3月)は、この主題の一つの到達点だと言えるだろう。
 「薔薇くひ姫」におけるメタテクストの要素は、いま目の前にある現実をとらえがたいものと見なす作中人物の認識と結びついているのだが、同様の問題はモーパッサン作品においても見出される。このような視角から、本発表では、「薔薇くひ姫」と「ル オルラ」「それが誰に分るのだ」の比較検討を通じて、森茉莉モーパッサン作品をどのように受容し、どのように自らの創作行為に取り入れたのかを考察する。

1950年代の宋美齢―映像と写真から―
井上裕子(北海道大学(院生))

 
 1943年、米国議会で対中支援を訴えた宋美齢の身体は、女性および中国人として二重のオリエンタリズム的視線を浴びる“中国”であった一方、その中国的外見は“にらみ返し”の意味を内包する戦術として機能していた。その後1950年に台湾に移った宋美齢は、今度は国民党機関紙『中央日報』上で、回帰すべき自由“中国”を表象する一方、40年代からの中国的外見を継続する身体の展示は明らかに “アメリカ”との繋がりを意味するものだった。日本植民地時代の台湾人はナショナリズムを介しての一元化を捉えられないといわれる複雑さを有しているが、台湾人にとっての宋美齢の身体はアイデンティティの混乱を尚一層深めることになったに違いない。テレビ放送がまだ始まらない50年代、台湾の人々は映画館で映画を見る合間に国策のニュース映像を目にしていた。そこで台湾人が目撃したであろう宋美齢の映像は、女性の持つ起源性と国民的アイデンティティの方向性の相違が政府により広報されたという特徴を持つものである。

菊田一夫『君の名は』に関する一考察―映画『哀愁』との対比から―
横濱雄二(北海道大学) 


 菊田一夫『君の名は』(1952-54)は、戦後を代表するメロドラマとして有名であるとともに、ラジオドラマ、小説、映画へと展開したメディアミックスでもある。この作品については、マーヴィン・ルロイ監督によるハリウッド映画『哀愁』(1940、日本公開1949)からの影響が指摘されているが、具体的な検証は管見の限り存在しない。そこで本発表では、『君の名は』の小説、映画の双方と映画『哀愁』とを、特にストーリーラインに注目して比較しつつ、『君の名は』のメロドラマがどのように構築されているかを具体的に検討する。これはまた、発表者が以前から進めている『君の名は』のメディアミックス展開に関する研究の一環でもある。
 取り上げるべき要素の一つは、メロドラマ的な女性への抑圧の手段としての家族制度の問題である。特に両作品では嫁姑の関係が大きく異なるにも関わらず、婚家で嫁たる女性主人公が不幸になることは変わらない。加えて、家族制度内の男性の位置も注目すべき要素である。『哀愁』では男性主人公が一人で担っていた役割が、『君の名は』では大きく二人の人物に分配されている。そのような役割の明確化は他の人物でも見られる。本発表では、これらの点について貞操という価値観の作品内での取り扱われ方などとも関連づけながら考察する。
 これらの要素の検討を通じて、『哀愁』の単線的なメロドラマの構造が『君の名は』ではより緻密になっていることが明らかになる。このことは、菊田一夫の意図した戦後の世相を描く群像劇としての『君の名は』が、人気の獲得とともにメロドラマへ傾斜を深めていき、最終的には完全に遷移したことを示している。さらにいえば、菊田の劇作の方法そのものにメロドラマ的構造が含まれていることをも示唆しているのではないだろうか。