Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

第2回 日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉研究会案内

■日時 2011年12月17日(土)14時~17時
■会場 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟 W409会議室

※参加歓迎

司会
北海道大学大学院文学研究科   
リサーチ・アシスタント  山田 桃子


□研究発表

〈退屈〉で〈うるさい〉テクスト―坂口安吾『吹雪物語』―
北海道大学大学院文学研究科   
博士課程  山路 敦史


□Session The Pure DAZAI 第2回

小説で倍音はいかに響くのか、言葉(ロゴス)はいかに表象するのか―太宰治「I can speak」前後―
北海道大学大学院文学研究科   
客員研究員  大國 眞希

パラドクシカル・デカダンス
北海道大学大学院文学研究科   
教授  中村 三春


北海道大学大学院文学研究科RAプロジェクト
「日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉の研究」


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)
〈退屈〉で〈うるさい〉テクスト―坂口安吾『吹雪物語』―
山路 敦史
 坂口安吾の書き下ろし長篇小説『吹雪物語』(竹村書房、1938年)は、一般に〈失敗作〉として知られ、安吾文学の切断ないし転換点として理解されやすい。しかし、そもそもこのような評価が定着したのは、「再版に際して」(『吹雪物語』1947、新体社)での「悪夢のやうな小説」、「インチキ小説」といった記述や執筆動機とされる矢田津世子との恋愛の清算という伝記的事項によるところが大きい。こうした見方から、作者自身の言葉を鵜呑みにせずに、『吹雪物語』という実践の意味を巡る研究も行われてきた。しかし、導き出される結論は、安吾が『吹雪物語』で何を成し遂げたのか(遂げられなかったのか)といったものが目立ち、テクストの言葉は実体的に想定された作者へと回収される。肯定するにせよ否定するにせよ『吹雪物語』は、安吾文学のストーリーを作る為の格好の材料だったのである。
 本発表では、テクストの言葉と向き合い、それを基点として『吹雪物語』を肯定的に語ることは、どこまで可能なのか試してみたい。
 特に、登場人物たちが「噂」を巡って動いている点、「退屈」や「うるさい」といった言葉が多く用いられている点、後半部から末尾に至って「言葉」への言及が目立つ点などを手がかりに、1930年代という時代状況を補助線として考察を試みたい。


小説で倍音はいかに響くのか、言葉(ロゴス)はいかに表象するのか
太宰治「I can speak」前後―

大國 眞希
 昭和14年、太宰文学は転換期を迎える、と一般的には考えられている。昭和12年、13年に発表された小説が数えるほどしかない(昭和12年「二十世紀旗手」「あさましきもの」「HUMAN LOST」「燈籠」昭和13年「満願」「姥捨」)のに対し、昭和14年を迎えると「女生徒」「富嶽百景」など発表された小説だけでも19篇を数え、その後多くの作品が生み出されていることも、そうした認識を与える一因となっているのだろう。「姥捨」「富嶽百景」の素材とされている結婚という生活上の転換期も重ねられているかも知れない。では、このような文脈においてではなく、作品そのものを比較した時にも、転換の要素は見いだせるのだろうか。転換していると感じさせるのは作品のどのような点においてだろうか。描かれている物語内容(ストーリー)ではなく、小説を作り出している言葉に注目したとき、どのような点に転換を見いだせるのだろうか。
 そのひとつの手がかりとなるが、作品を生成する「音」ではないか。
 太宰は「音について」(昭12)のなかで「音の効果的な適用は、市井文学、いはば世話物に多い様である。もともと下品なことにちがひない。それ故にこそ、いつそう、恥かしくかなしいものなのであらう。聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである」と述べている。そして、「めくら草紙」では、冒頭で小説に比して音もなく水が流れるさまを捉えてみせていたが、昭和14年に発表された作品「I can speak」「秋風記」「葉桜と魔笛」のなかでは重要な動機(モティーフ)として歌、声、音、言葉の形象が描き出される。例えば、「葉桜と魔笛」は題名から「魔笛」が冠されており、―これは葉桜を越えて届く口笛として出現する―、作品内では、「どおん、どおん」という「まるで地獄の底で大きな太鼓でも打ち鳴らしてゐるやうな、おどろおどろした物音が、絶え間なく響」く。 
 昭和15年頃の自作詩として太宰は次のような言葉を残している。「わが恋は はかなくなりぬ 雨降る日 わが歌も 声うしなへり 雨降る日 雨だれ たん たん われを笑ふよ ああ わが肉体のぶざまさは 腐れるままに 立ちつくし 死にもせず なほ 残りけり」。全体に響く雨音からは「秋風記」を、「わが歌も声うしなへり」の文言からは直接的に「I can speak」を想起させられる。同じく15年の1月に発表された「鷗」は、「鷗といふのは、あいつは、唖の鳥なんだつてね」で始まり(「めくら草紙」に見られた水の反射(リフレクト)に対し、本作では小説のメタファーとして「水たまり」が登場する)、「イマハ山中、イマハ濱…」という唄が繰り返し響くなか、文学者である自身をぜんそくの辻音楽師に喩える。また、一方で、やはり地から響く音も言及されている。
 太宰作品を生成する歌、唄、声、言葉はどのような機構によって響き、またどのように読者の耳に届くのか。それは転換期を考えるうえでの鍵となりうるのか。本発表では特に「I can speak」を中心に取り上げて、如上のことを考える一助とすることを目的としたい。


パラドクシカル・デカダンス
中村 三春
 太宰治「陰火」(『文藝雑誌』昭11・4)に登場する如来は、死んで臭う白象に乗り、その姿はぼろぼろで薄汚れている。堕落と頽廃こそ、至上の貴種の表徴にほかならない。このように太宰的デカダンスは本来、貴種流離譚の極端な変形としての性質を帯びていたが、さらにそれは敗戦のあと、手をつけられないほどの反制度性を身にまとうことになった。太宰を完成に導いたのは敗戦である。「冬の花火」(『展望』昭21・6)以降、デカダンスの主役はヒロイン(女)に委ねられ、その傾向は最後まで変わることがなかった。それではヒーロー(男)はどこへ行ったのか? 「子供より親が大事」と始まる「桜桃」(『世界』昭23・5)を、単に上手な短編と見なしてはならない。それは太宰的デカダンスの逆説性が凝縮されたテクストである。文芸的デカダンスの意味を、このあたりで根底から再考してみるべきではないか。