Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

第3回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会案内

■日時 2011年9月10日(土)13時~17時30分
■会場 北海道大学東京オフィス

※参加は事前申込みが必要
(eメール、DMで9月1日(木)まで。会場の収容人数のため、お断りする場合があります。)

□研究発表
1 「文芸映画」について考えるとはいかなることか―ポスト占領期を中心に―
同朋大学非常勤講師 溝渕久美子
2 〈工房〉としての菊池寛
早稲田大学演劇博物館客員研究員 志村三代子

□ラウンドテーブル
1 戦後映画運動への一視点―〈シネマ57〉の顛末―
立命館大学非常勤講師 友田 義行
2 〈宮沢賢治原作〉とは何か―1950年代の児童向け映像の諸相―
専修大学准教授 米村みゆき
3 テクスト変換の諸相―〈原作〉の記号学3―
北海道大学大学院教授 中村 三春

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)
[研究発表1]「文芸映画」について考えるとはいかなることか―ポスト占領期を中心に―
溝渕久美子   
 文学と映画の接近について考える際のトピックのひとつとして、小説の映画化=アダプターションが挙げられる。小説のアダプテーションは、その映画の製作者や観客など「映画」という制度に関わる人々による、原作のテクストやそれを書いた作家、さらには「文学」そのものの受容のあり方を知る手がかりとなると思われる。その中でも特に「文芸映画」という映画ジャンルを軸にするによって、そうした問題をよりはっきりととらえることができるだろう。そのことを示すケーススタディとして、本発表では日本のポスト占領期の「文芸映画」を取りあげたい。ポスト占領期という時期に、特定の文学作品が「文芸映画」として製作され、流通し、語られたことを、私たちはどのようにとらえることができるのだろうか。当時の文学史の記述や教育、国際映画祭と日本文学の翻訳などの問題を視野に入れながら考えていきたい。

[研究発表2]〈工房〉としての菊池寛
志村三代子   
 本発表の目的は、1920年代半ばからアジア・太平洋戦争の敗戦にいたるまでのおよそ20年間にわたって映画界に提供された菊池寛原作の文芸作品と、菊池寛と映画界とのかかわりを検証することによって、従来の「文学者」という枠組みから大胆に逸脱した菊池寛の全体像を、これまで等閑視されてきた映画界との関連から迫ることである。戦前の文壇と映画界は、1920年代半ばの「文芸映画」の興隆とともにその連携を密にしていくが、本発表で明らかにしたいのは、映像を参照することによって文学を相対化しようとした同時代の他の文学者たちとは立場を異にした菊池独自のメディア戦略の特徴である。発表者は、常に「原作=菊池寛」のブランドネームを冠しメディアを「商品」として流通させた菊池の手法を、仮に〈工房〉と名付けることによって、1920年代半ば以降の文芸映画の発展に大きく貢献し、映画雑誌『映画時代』、『日本映画』の刊行を経て、戦時下の大映社長として国策映画の製作に采配をふるった「映画人・菊池寛」の具体的な道程とその意義を明らかにしていきたい。


[ラウンドテーブル1]戦後映画運動への一視点―〈シネマ57〉の顛末―
友田 義行  
 1950年代における映画と文学の相関は、いわゆる文芸映画に限られるものではない。
総合芸術の名の下に、文学者・映像作家・美術批評家たちが専門ジャンルを超えて交流を展開していた。
 本報告では、羽仁進・勅使河原宏荻昌弘ら若手映画人が中心となって1957年に結成された映画グループに注目する。
 非商業映画の上映と研究に加え、自主映画制作にも挑んだこのグループは、世代や国境をも超えた活動を展開し、ATGという新しい興行システムへと発展的解散を遂げた。
 彼らの残した映像と著作の映画史的意義、さらに安部公房ら文学者との関わりについても検証したい。

[ラウンドテーブル2]〈宮沢賢治原作〉とは何か―1950年代の児童向け映像の諸相―
米村みゆき  
 アーカイブの点からその存在はほとんど知られていないものの、1950年代には実写、アニメーション、人形劇を含め、宮沢賢治関連の映像テクストがいくつか存在した。当時の映画評は、総天然色人形劇映画『セロ弾きのゴーシュ』(1953 三井藝術プロダクション)に集中しているが、そこでは「良心的な佳作」「稀にみる『児童映画』の『門出』」などと映像テクストを称揚する傾向が見受けられる。称揚する言説の根拠を探ってゆくとき、興味深いのは原作には登場しない既視の風景が映像テクストに存在する点である。同様の視角から同時代の宮沢賢治関連映像を掘り下げるとき、村山新治監督『風の又三郎』(1957 東映教育映画製作)の存在が注目される。同テクストに見受けられるのは「原作 宮沢賢治」とはかけ離れた“神話化された宮沢賢治”としての「原作」である。この状況は一体何を物語るのか。本報告で探ってゆきたい。

[ラウンドテーブル3]テクスト変換の諸相―〈原作〉の記号学3―
中村 三春  
 原作・脚本・映画というような単純な変換図式が成り立たない作品が、映画製作の場合には極めて多く見られる。『季刊iichiko』No.111に掲載した「〈原作〉の記号学」において、複数原作・遡及原作・相互原作などの例を挙げて論じたが、今回はその諸様相について、より具体的に1950年代映画に題材を採って検討してみたい。特に、複数原作(『羅生門』『雨月物語』など)や、遡及原作(『雨月物語』『夫婦善哉』など)に重点を置いて報告する。