Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

第1回 現代日本〈映画―文学〉相関研究会のご案内

■日時 2013年6月22日(土)13時~17時30分
■会場 北海道大学東京オフィス
※参加は事前登録が必要・人数制限あり
(6月13日(木)まで申込みのこと)

□研究発表

1 コメディエンヌ・高峰秀子と『グッドバイ』
二松學舍大學非常勤講師 志村三代子
2 映画『他人の顔』関連の未公開資料について
信州大学助教 友田 義行

□ラウンドテーブル

1 豊田四郎監督の『或る女
北海道大学大学院教授 中村 三春
2 女優と監督―50年代女性映画の構造―
立命館大学教授 中川 成美
3 〈翻案〉の方法―小説から映画へ―
早稲田大学助手 宮本 明子
4 変転する『本陣殺人事件』
甲南女子大学講師 横濱 雄二
5 「脚色」の方法論―宮崎駿の評価基準―
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(B) 課題番号25284034
現代日本映画と日本文学との相関研究―戦後から1970年代までを中心に―」
(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

○要旨

□研究発表(各発表30分程度)

1 コメディエンヌ・高峰秀子と『グッドバイ』
二松學舍大學非常勤講師 志村三代子
 太宰治の『グッドバイ』は、「朝日新聞」に連載が予定され、一九四八年五月中旬より十三回分のみが書かれていたのだが、太宰の自殺により中断、一九四八年七月号の「朝日評論」にその全文が掲載された。太宰の死は、人気作家がおこしたセンセーショナルな事件であっただけに、映画化をめぐって様々な億足が囁かれたが 、結
局、翌年の一九四九年に『女性操縦法 “グッドバイ”より』(新東宝、島耕二)のタイトルで公開された。
 本作で主演を務めた当時の高峰秀子は、少女から大人の女優へと脱皮を図るために様々な役柄に挑んでおり、映画『グッドバイ』は、小説『グッドバイ』のモデルでもあった高峰にとって戦後初のコメディ映画の主演作品であった。
 本発表では、小説で頓挫してしまった部分が、映画の中でどのように改変され、また高峰秀子が、初共演となる森雅之を相手にいかにそれを引き受け演じていったのかという問題を、小説、脚本、映画を参照しながら考えてゆきたい。

2 映画『他人の顔』関連の未公開資料について
信州大学助教 友田 義行
 安部公房『他人の顔』は、1966年に勅使河原宏監督の演出で映画化された。原作が発表されたのは、安部公房砂の女』がやはり勅使河原監督によって映画化された1964年である。2年ごとに発表される原作をそれぞれ2年遅れで映画化した格好だが、実際には、『砂の女』公開から『他人の顔』の製作までには、実現しなかった企画があった。その一つは被爆者を描いた作品であり、これが安部の反対によって一旦立ち消えになったのち、『他人の顔』の「本編」に挿入されるかたちで映像化されたことは、すでに論じた通りである(拙著2012)。しかし、日の目を見なかった企画はこれだけではない。本発表では、草月会館資料室での調査で発見された未公開資料を取りあげ、その内容と来歴の概略を開示したい。その上で、本資料がやはり映画『他人の顔』に組み込まれていることを指摘する。それこそが「精神病棟」のエピソードであるのだが、ではこのエピソードは元資料からどのように変奏されたか、そして映画でどのような役割を果たしているのか、考察する。


□ラウンドテーブル(各報告15分以内)

1 豊田四郎監督の『或る女
北海道大学大学院教授 中村 三春
 映画『或る女』(1954、豊田四郎監督・八住利雄脚本)は、有島武郎の原作『或る女』の視点から見ると極めてユニークな作品である。古藤を岡に融合して消去、葉子の2人の妹を1人にするなど、複雑な原作の人物配置を大胆に整理しただけではない。平野謙の「女房的文学論」を地で行くように、原作の回想部分の木部と葉子の確執を前半でクロースアップ、さらに後年の再会場面も前面化したが、実は後者は有島自身が晩年の戯曲「断橋」で再話を試みた重要部分なのである。今回は本作研究の構想を明らかにして、今後の〈相関〉研究の基盤を培いたい。

2 女優と監督―50年代女性映画の構造―
立命館大学教授 中川 成美
 日本映画の黄金期を飾る数々の女性映画において、女優と監督との緊密な関係性を看過することはできない。小津安二郎黒澤明における原節子木下恵介成瀬巳喜男における高峰秀子溝口健二における田中絹代は、その中で特記されるべき現象として、日本映画に多大の足跡を残した。
 ハリウッドの女性映画が、50年代前後にフィルム・ノワールなどの影響である種の逸脱を示し始めるのは、女優たちの加齢という問題があった。しかし、日本映画は敗戦を経ることによって、女性映画に新たな枠組が導入され目覚しいジャンルの新方向が提示された。そのこととこの女優と監督の緊密な関係性、つまり協働性をもった幻術活動としての側面を考えてみたい。出来れば、その後に現れる川嶋雄三、増村保造若尾文子吉田喜重岡田茉莉子今村昌平左幸子春川ますみなど60年代以降を視野にいれて、そうした緊密性がどのように変質していくかについても考察を加えたい。

3 〈翻案〉の方法―小説から映画へ―
早稲田大学助手 宮本 明子
 小津安二郎の映画には、里見弴の小説の会話に類似する部分が複数みとめられる。今回は映画『秋日和』(1960年)と、原作となる小説『秋日和』、その他の著作を対象として、小説から映画への<翻案>がどのように試みられたのかを考えてみたい。とりわけ、北竜二や佐分利信らによる小津の後期作品の「定型」と評されてきた男たちの会話にどのような<翻案>がみられるのか。撮影台本も参照しながら、映画と小説との対応・異同の様相を検討する。

4 変転する『本陣殺人事件』
甲南女子大学講師 横濱 雄二
 報告者の研究課題の一例として、横溝正史『本陣殺人事件』とその映像化作品をとりあげる。同作の映像化作品には1947年の映画(『三本指の男』、片岡千恵蔵主演、東横)、1975年の映画(中尾彬主演、ATG)、1977年のテレビドラマ(古谷一行主演、TBS、全3回)がある。片岡千恵蔵映画については別に発表したため、今回は原作小説と後二者をとりあげ、その相違点を明らかにしつつ、今後の研究課題を素描したい。

5 「脚色」の方法論―宮崎駿の評価基準―
専修大学准教授 米村みゆき
 アカデミー賞に「脚本賞」というカテゴリーがあるが、スタジオジブリの監督・宮崎駿の評価、注目すべき点はまさにこの点にあるのではないか。その映画が文化圏を超えて広く受け入れられ、顕著な存在感を示しているのは、原作を独自の手法で「脚色」する方法論ゆえと考えられる。伝統的なコード、典型的な物語構造に沿いながらも、ダイナミックに変奏した物語を紡いでいるが、その想像力が「ねじれ」として映画のなかに新たな文化を結晶化してゆく。その様相を辿る。