Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

句読法(映画の)

 映画における句読法は、言語からのアナロジーによって、映画記号学が映画分析に導入した概念です。典型的には、ショットとショット、シーンとシーン、シークェンスとシークェンスとの間を、区分すると同時に節合する手法であると言えます。言語でも句読点だけが句読法ではなく、改行・段落・括弧・分かち書き、その他様々な句読法があるのと同様に、映画においても多様な句読法があります。

 最も素朴には、ショットの切り替わり(ショットの繋ぎと同じことです)そのものが句読法になります。しかし、ショットの区分=節合はショットの常態であるので、それだけでは多くの場合、句読法へと受容者の意識を引き寄せることができません。そこで、フェイドイン、フェイドアウトなどの映像節合や、タイトルの挿入、音楽や音声の挿入や反復、同一ショットの反復などの手法が用いられます。ここから分かるように、句読法はほとんどの場合、それじたいとしての表現効果をも帯びています。映画でも言語と同じように、同じ要素が多重の機能を果たすことが多いわけです。

 句読法の効果は、またそれじたいが多重であると言えます。その基底をなすのは、句読法によって区分=節合を行うことで、たとえばショットが一つの単位となり、その単位の複雑な組み合わせで、より豊かな表現が得られることでしょう。言語記号が他の記号一般と自らを区別する、二重分節、つまり記号が上位と下位とに二重に区分=節合可能であり、組み合わせによって無限の表意作用が実現されるのと同様の帰結がもたらされることになります。