Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

人物(小説の)2

 小説の人物を分析する方法論は無数に上ります。人間と物語、あるいはテクストに関わる理論はすべてどこかで人物に関わってきます。精神分析、反精神分析、関係論、ジェンダー批評、語り論、文化人類学……。ただし、その中でもユニークな理論として私が記憶にとどめているのは、むしろ人物を否定する方法論です。

 ユーリー・ロトマンの『文学理論と構造主義』(勁草書房)は、文化記号学の泰斗であるロトマンの主著の一つですが、そこに「物語とは文化的境界線の越境である」という理論が登場します。文化の空間的なモデル(文化テクスト)がロトマンのテーマの一つでした。たとえば、『斜陽』のような物語は、いわゆる「貴族」のいる空間(戦前期)と、いない空間(戦後期)との対立を根底にしており、その二つの空間の境界線をストーリーが横断してゆく、ということになります。

 この場合、人物は、いわば越境・横断のための便宜でしかありません。ロトマンは、物語には必ずしも人物という概念は必要ではないと述べています。横光利一の「静かなる羅列」のように、確かに人物の一切登場しない小説もありますし、登場する小説であっても、人物中心でない読み方が当然、求められるわけです。小説の主役は人物ではなく、文化的空間です。前田愛の『都市空間のなかの文学』(筑摩書房)には、この理論が投影しています。

 この方法論にも限界や異論があるでしょうが、少なくとも、人物一辺倒の平板な小説読解の観念を揺り動かしてくれることだけは確かです。