Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

学ぶこと、教えること

 私は現在、日本文学などの研究・教育と、FD(授業改善)や大学間連携などの行政・実務の二つを仕事の柱にしているのですが、不思議なことに(?)、その二つが矛盾すると感じたことは一度もありません。文学や表象の研究・教育とは、分からないことを分からないままに、相手と語り合ったり、教えたりすることの連続です。学会でも教室でも、結局、「分かりません」の繰り返しです。そんな分からないことばかりで学問と言えるのかと聞かれれば、私は即座に、そうです、分からないことを問題にすることこそ、最高の学問なのです、と答えます。

 一方、FDや大学間連携はどうかと言えば、大学・学部、教職員の専攻や立場、国や自治体の意向などといった無数の変項が絡まり合い、簡単にはいきません。が、そのような対立にもかかわらず、明かりの差す出口を求めての活動という意味では、いわばテクスト解釈や学派間の論議と同じようなところがあります。私は若い頃、ほんとうに内向的で、人に道を聞くことさえできないタイプでした。今でもそういうところがありますが、これまでの教室や学会での訓練・修業がなければ、たぶん実務的な仕事は未だにできなかったことでしょう。

 技術を身につけるという意味での勉強が、どのような専攻や職種においても必要なことは確かです。しかし、真に高度な専門的技術が必要とされる職業は、実はそれほど多くはなく、またその場合においても、一定水準以上の手腕は、働きながら身につけるものではないでしょうか。むしろ、そのように「分かる」ことの上に、「分からない」局面にぶち当たった時に、いかに対処して切り抜けるのかが、どのような仕事の現場においても肝心なのではないでしょうか。だから、学ぶこと、教えることの根幹にあるのは、「何を」もさることながら、「どのようにして」というプロセスではないかと思うわけです。

 大学で20年ほども勤めてきて、このごろ、卒業生たちが諸方面で活躍している姿を目の当たりにし、学ぶこと、教えることの意味について、思いを新たにしているところです。