Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

氷の街から2

 季節は移り、春が来て桜が咲きました。けれども、私の中の冬は変わりません。私は、あの冬の日、からからに晴れた首都から帰ってきて、氷に閉ざされた街で凍えたことを忘れません。私は、高校への出張講義の帰り、吹雪でバイパスを超低速で走ったことを忘れません。ブリザードのため、ハザードランプをつけて停車したことを。多くの人が亡くなり、それよりさらに多くの人が傷つき、私も腰を再三傷めた、この冬の降雪を忘れません。

 初めて会った学会の長老は、私に向かって突然「ナカムラさんが、そこで大変苦労してることはよく分かるよ」と言いました。本がない、仲間がいない、研究会もない、都市基盤のない地方では、研究するのが大変だ、ということだったでしょう。それらはすべて、当時は事実でした。だが、田舎者であることに居直ってはなりません。今ではこう思います。東京に憧れ、その憧れを否定し、否定することじたいにも懐疑する、氷に閉ざされた心、そのような田舎者の心を身に帯びざるをえないことこそ、地方に住む、ということの鬱屈なのだと。

 有楽町、恵比寿、表参道、御徒町……きらびやかな東京漫遊は、畢竟、場所の記号と種々のテクノロジーの表現に過ぎず、そこで何が得られるか、はあっても、そこで自分が能力として何をなしうるか、が決定的に欠けています。新宿の高層ビルがいったい何でしょうか? 大半は、自分が作ったわけでもない街なのに。けれどもそれは、私たち田舎者とて全く同じです。私は郷土愛とか地元志向などは欺瞞だと思っています。自分がこしらえたものでもないのに、自然や環境を単純に誇るのは浅薄です。都会にせよ自然にせよ、大切なものは目には見えない、ということを、人はいつから忘れたのでしょうか。

 私たちは、何をなしうるかの技術と強度を個々に身につけ、それによって個々に独自に生きればそれでよいのです。街や場所を、意識・無意識に誇るのは低次元です。ただし、それでもなお、その強度のうちの幾分かは、私の中の氷の部分に由来します。埋もれたくない、負けたくないという気持ちと、勝ち負けは無意味だという気持ちに折半された、ともかくも、灼けるほどに冷たい、あの氷の街に。私たち田舎者は、その氷の街から、これから、誰のものとも違う、テクストの見方・読み方を発信することができれば、それでよいのです。