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日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

神話批評(物語3)

 物語は自由自在な言説というよりは、行為する人の様態を、効果を上げるよう技巧を凝らして語ることであるとする主張は、既にアリストテレス詩学』のミュートスの理論にあります。ミュートスとは、現在の「神話」の語源ですが、物語あるいは物語の筋を指す言葉です。物語の太古の姿は神話であり、神話は引用・反復され、それ以後の物語に範型を提供してきました。そこで、物語をその形態における神話的類型から分類・分析する方法が現れます。これが神話批評です。

 ノースロップ・フライの『批評の解剖』は、神話批評のバイブルです。これは西洋世界の古今東西の文芸テクストの分類一覧のような内容をもっていて、ジャンルや様式などの分類基準からそれらを克明に分析した、一冊本の物語百科事典と言えます。神話という言葉には、文字通りの神話に、アリストテレス的なミュートスの含意が込められていて、ですから本書は、一種のネオ・アリストテレス主義の業績でもあるわけです。

 フライの場合、現代にまで行われている物語の範型は、その多くが神話(特に聖書神話やギリシャ神話)に由来すると考えられます。中には、「解剖」(アナトミー)や「百科全書的形式」など、本書のタイトルや成り立ちとも密接に関わる新たなジャンルも考案されていて楽しめます。(こういう話が楽しいと思える人には、ですが。)「解剖」とは、先行するジャンルをパロディ化して批評するようなジャンルですから、バフチンの言う小説概念などは、まさに「解剖」と合致するとも思われます。

 神話批評を徹底すれば、文芸テクスト、あるいは物語行為とは畢竟、コミュニケーションを円滑にするために物語というフレームを用いるというよりは、逆に、物語という枠に拘束される限りにおいて可能なコミュニケーションを行うことに過ぎない、ということにもなります。極端な話、すべては元型(ユングの用語=フライの神話はほぼこれに相当します)となる物語によって規定されていて、真に新しいものは何もない、と。現在行われている物語の惰性化を考えると、思わず肯きたくなりますが、しかし、ここで肯いていてはいけない、とも思うのです。