Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

アクロバット(論文・レポートの書き方4)

 こんなことを教える先生はいないんじゃないかと思いますが、私は、論文ではできることならアクロバットをやるべきだと考えています。アクロバット、それは、読む者をあっと言わせるような論述のことです。しかし、それは単なる無根拠や支離滅裂とはもちろん違います。根拠をもち、論旨を一貫させて、なおかつアクロバットをするのは、実は、そうとうに難しいことです。

 論述はいかにしてアクロバットになるのか。解剖台の上での何とやらではありませんが、意想外の対象と理論、論理と論理とを節合させることです。節合(articulation)は、カルチュラル・スタディーズの用語で、スチュアート・ホールによれば、これはくっつけたり離したりすること両方を指すので、たとえばトレーラートラックの荷台と運転席とをアーティキュレートする、などのように使うのだそうです。

 当然、アクロバットをやってやるぞ、と構えてできるものではありません。ただ、単なるひらめきというのではなく、常に論述の可能性をたずね、アンテナをはりめぐらしていると、けっこうな頻度でできてしまうことがあります。私がやった最大のアクロバットは、「カインの末裔」をミルチャ・エリアーデ永遠回帰の神話と結びつけたのでしょうか。それも、最初から3本目か4本目かの論文でですよ。

 そういうことができたのは、先生に認めていただいたからです。よくもまあ、あんなものにOKを出してくださったことと思いますが、「一定の説得力がある」という評をいただいた覚えがあります。研究室の紀要に載せて、後に著書にもちゃんと収めてしまいました。最初に研究会で発表した時に、参加者から、これは論ではない、あなたの「作品」じゃないですか?、と言われたものです。

 でも、この頃ではそういうのはとんと、見かけなくなりましたね。アクロバティックな論は、淘汰されてしまうのでしょう。かく言う私は、決して淘汰しませんよ。もちろん、厳しく批評しますけどね。言うまでもなく、通常科学の地平から抜きん出た、パラダイムシフトを引き起こすような論は、最初は、いかにもアクロバットとして見えるものだからです。(いや、あの「カインの末裔」論は、単なるアクロバットでしかないのですがね)。