Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

心脳コントルバング社会(3)

 結論として、「我、疑うゆえに我有り」という態度で、メディアに接することが必要です。疑っている我を疑うことはできません。だからこそ、小野田さんは、自分の理論に徹底的に即して、情報を分析したのです。彼が結局、日本軍国主義というイデオロギーに心脳支配され、周りを全部敵と思い込んだのと同じように、自分は「正しい」教養のおかげでメディアに支配されていないが、自分と政治思想の違う者は皆、教養が足りないためにメディアに籠絡されているのだとする愚民観もまた、それこそある種のイデオロギーに心脳支配された結果ではないのかと、自分を疑うことはできないのです。

 もしかしたら、現在の政府や世界情勢に対して反対の人でも、これだけ露骨な愚民観と自己中心主義によって攻め立てられたら、反政府の立場を降りるかも知れません。誰だって、下々の努力を無視して、自分のことをエラそうに自慢する東大教授なんぞに、説教されたくはないですから。これほど明白で単純な啓蒙的言説は、むしろ運動から多くの支持者を離脱させ、逆に政権を利する行為です。言説の運用方法について、プロレタリア文学史や「政治と文学」論争から何も学んでいない気がしますが、むろん学ぶ必要などありません。これこそ、二俣分校的な、本場物の諜報戦の醍醐味にほかならないのです。

 小野田さんは、最後まで自分の理論に忠実でした。規則の通り、上官による任務解除の命令を受けるまで、否、それを受けてもなお、これは秘密戦の謀略ではないかと一貫して疑ったのです。けれども、彼はその理論通りに、情報を総合して考えを修正し、最終的に自分で判断して投降したのでした。

 私は自分の理論から外に出ることはできません。私の手元にあるのは、ささやかな自分の理論だけです。しかし、いかに心脳支配されているにせよ、私は、自分自身を疑うことを、その理論の一角に含めることができます。どのような情報に対しても、この理論と懐疑との振幅運動を続ける過程以外に、私にとっての「正しさ」はありません。だから、私は今もルバング島をさまよっているのであり、これからもなお、さまよい続けるほかにないのです。

※参考文献 小野田寛郎『わがルバン島の30年戦争』(日本図書センター)、小森陽一『心脳コントロール社会』(ちくま新書)。両書からの引用を含みます。