Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

姦通小説3

 ジャンルは、どのようなものでも、歴史的かつ公共的なフレーム(枠組)です。言い換えれば、私的ジャンルなるものは、あったとしても意味をなしません。また、ジャンルである以上は、何らかの歴史的・公共的な記憶と関わりを持ち、すなわち、ジャンルは、テクストに対する社会的要請への応答であると言えます。たとえば、抒情・叙事・劇のようなジャンルも、詩や物語や芝居を欲する要望に対する応答なのです。 

 姦通小説は、姦通が家父長制的婚姻秩序からの逸脱であり、社会の根底をなす単位(家庭)を揺るがす挑戦と見なされた時に、初めて、有力なジャンルとなりえました。西洋では近代市民社会小説がその舞台であり、日本では近世の心中物や女敵討(めがたきうち)の美学を経て、やはり近代小説において定型となりました。従って、家父長制の圧力が希薄となり、姦通が社会秩序を脅かす現象としてとらえられなくなった時、姦通小説もまたその使命を終え、あるいは、ジャンルとしての構造を変化させるわけです。

 欧米では、D.H.ロレンスチャタレイ夫人の恋人』、日本では、大岡昇平の『武蔵野夫人』が、そのような画期をなしたテクストです。『チャタレイ』のヒロインは、戦傷で不能となった夫にかしずく生活をしていた折、生命的魅力あふれる男と姦通します。夫は男の沽券を理由に離婚を拒否しますが、ヒロインは自己意志でそれを押し切ろうとします。夫に罪はないが、妻にもまた、罪はないのです。生命の根源からする要求の前に、慣習は無意味となり、また、世俗の要求には世俗の対応がある。死・自殺ではなく、離婚を迎える成り行きには、伝統的な姦通小説の変容が如実に見て取れます。

 『武蔵野夫人』は、戦後の混乱が背景になっていますが、登場人物の大半が姦通をしているという設定です。しかし、ヒロインは姦通をせず、復員してきた従弟を愛しながらも、貞潔を守るために自殺するのです! 作中にはスタンダール研究者の夫が、刑法の姦通罪条項論議をする場面があります。そう、これは姦通小説ジャンルじたいを対象化する姦通小説であり、メタ姦通小説と呼ぶべきテクストにほかなりません。この2編の小説は、20世紀中葉に相次いで発表され、姦通及び姦通小説ジャンルの転機を明確に示した点で双璧と思われます。

 この後、姦通小説は、ジャンルとして、より一層の転身を遂げてゆくことになります。