メタ姦通小説の傑作、それは、金井美恵子『文章教室』をおいて外にはありません。主人公・絵真の名はエマ・ボヴァリーから来ていて、姦通小説のジャンル的記憶を喚起します。佐藤絵真の夫も娘も、また絵真自身も不倫していて、佐藤家は姦通一家です。ところが、誰一人、姦通に深刻な罪悪感を抱いておらず、また家父長制的な拘束力も見当たりません。ここで不倫は、恋愛の下位区分に過ぎず、かくして姦通が家父長制との関連で語られる時代は、完全に過去のものとなったわけです。
絵真はカルチャースクールの文章教室に通い、その絵真が創作ノートに記した文章の断片を引用する仕方で、このテクストは進行します。現実的な事件というよりは、既に書かれた別のテクストからの、引用されたエクリチュールの再構成という印象を作り出しています。いわばこれは、姦通小説についての、あるいは姦通小説による姦通小説であり、姦通小説のパロディ、あるいはメタ姦通小説なのです。
私はこの優れた小説を読んだ時、ああ、これでもう姦通小説ジャンルは行き着くところまで行き着いたな、と感じました。ところが、世間では『失楽園』とか『不機嫌な果実』とか、あるいは『マディソン郡の橋』とか、古色蒼然たる不倫ものが横行し、人気を博していました。これは一面では、文化の健忘症原理(誰も文学史を勉強してから新作を読んだりしない)、他面では、文化の時系列的並行原理(近代と現代とは入り交じっている。国民全部が一挙にポストモダニストになったりしない)などで説明できるかも知れません。
一言で言えば、文化現象や人間関係規範に関する限り、人間、そんなに急に新しくなったり変化したりはしない、ということです。(もちろん、緩やかには決定的に変化しますが。)しかし、『文章教室』は傑出しており、その後、奔放な場面や家族崩壊などがいかに描かれようとも、この、静かで理論的で、ある意味落ち着いた小説の右に出るメタ姦通小説はないようにも思います。
ついでに言うと、金井美恵子の、難解で、それでいて極めてセンシュアルな超絶技巧テクスト『柔らかい土をふんで、』は、私の中では現代小説の最高峰の位置にあります。(とうとう言っちゃった!)
さて、姦通小説ジャンルは、どこへ行くのでしょうか? 『真珠夫人』などのドロドロ昼メロブームとも考え併せると、おもしろいテーマになりそうです。