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日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

書簡体小説2(全面的書簡体、挿入式書簡体)

 ルソー『新エロイーズ』、ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』、ドストエフスキー『貧しき人々』、ラクロ『危険な関係』……19世紀ヨーロッパでは、各作家の代表作と言うべき作品として、書簡体小説が書かれました。このジャンルの流行の度合が分かりますが、それでは日本ではどうでしょうか。近代文学で最も有名な書簡体小説は、漱石の『こゝろ』でしょう。もちろん、『こゝろ』を書簡体小説の一つとして数えれば、の話ですが。こう考えると、日本でも近代の代表作が書簡体であるということになります。

 刊本『こゝろ』は、上・中・下に分かれていて、上・中は「私」の手記、下は先生の遺書から成ります。いずれにせよ、完璧にドキュメント形式の小説であるわけです。ジャンル複合の法則(一つのテクストに、ジャンルは複数あてはめられる)からすれば、『こゝろ』は、手記体+書簡体の小説です。上に挙げた西洋作品は、テクストの全体が書簡体である全面的書簡体ですが、『こゝろ』はテクストの一部に手紙が用いられる挿入式書簡体です。

 日本文学でも、有島『宣言』「石にひしがれた雑草」や、太宰「風の便り」などの全面的書簡体小説があります。ただ、その数や規模は、西洋文学には到底、及びもつきません。しかし、テクスト構造の一角に手紙を挿入した小説は、『こゝろ』だけでなく無数にあります。漱石に限っても『こゝろ』のほか、『三四郎』や『それから』もそうですし、漱石の影響下から出発した武者小路実篤『世間知らず』『友情』や、有島の姦通小説『或る女』もそうです。

 ソロ、デュエット、シンフォニーなどの壮大な形式美が、全面的書簡体の妙味であるとすれば、挿入式書簡体は、テクストの部分と部分との間で引き起こされる、対立や調和などの関係が重要となります。『こゝろ』一つとっても、上・中と下との間の関係が何であるのかは、研究史でずっと争点になっているわけです。

 一つ問題を出しましょう。上・中の手記を「私」はなぜ、いつ書いて、どこへ発表したのでしょうか? 下の遺書は、「私」がこのテクストに引用したのでしょうか? 他人の遺書などを公開してよいものでしょうか? ヒントは「ドキュメント形式2」の記事をごらんください。