Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

書簡体小説3(メタ書簡体)

 太宰治はドキュメント形式の達人です。『人間失格』『斜陽』「女生徒」などは手記体、「HUMAN LOST」は日記体、「猿面冠者」「虚構の春」「風の便り」その他は書簡体で、他にカルタ形式の「懶惰の歌留多」というのまであります。このうち、「猿面冠者」と「虚構の春」は、書簡体小説メタフィクション、いわばメタ書簡体小説です。後者は、来簡集形式という前代未聞の手法によっていて、まだ十分にその構造はとらえられていないように思われます。

 もともと、ドキュメント形式はメタフィクションと親縁性があると考えられます。物質的な対象として想定しうる言語形式は、対象化しやすく、それ「についての」言説を派生しやすいからです。また、ドキュメント形式は額縁構造となりやすく、テクスト内に言語的な水準の多重化が行われるからです。例えば、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」は手紙による作中作を内在させており、「についての言説」としての額縁構造が顕著に認められます。

 「猿面冠者」は、小説家の物語です。小説に通じすぎた挙げ句小説が書けなくなった小説家が、もし小説を書いたらどうなるか、という設定で、作中作は小説家の物語で、その小説家はまた小説家の物語を書く、というように、額縁が内部に合わせ鏡のように続く構造になっています。そして、作中作中作の人物が、最も外側の小説家に手紙を出す、という、言語のレヴェル侵犯が山場を形作ります。

 これによって、安定した構造を誇った書簡体小説というジャンルそのものが、その根元にある虚構のメカニズムを露出させられることになります。姦通小説と同じく、書簡体小説もまた、ジャンルとしての相対化の審判へと立たされることになったわけです。小説とは何か、小説を書くとはどのような行為か、という問いかけが、小説形式そのものを通して投げかけられたのです。