Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

言葉の音楽(『東京物語』1)

 小津安二郎監督の『東京物語』で、戦死した次男の嫁である紀子(原節子)のアパートに、義母・とみ(東山千栄子)が泊まるシーンがあります。長男も長女も悪気はないけれど、生活に余裕がなく、尾道から出て来た老父母を大事にしません。熱海の旅館でも休めず、帰ってきても子どもたちに追い出されて、義父の周吉(笠智衆)は友達と飲みに行って泥酔して帰り、とみは紀子の安アパートを再訪したのです。

 肩を揉んでもらった後、とみが紀子に話すのは、実の子でもない紀子に優しくしてもらえたこと、次男が死んで8年にもなるのに写真を飾っているのはうれしいが、もう自分の生活を考えた方がよいということ、それに対して紀子は、自分は好きで一人でいるのだからいいのだと答えます。この対話で、二人が交互に話す言葉が、なんとも美しくリズムを作ります。東山の尾道弁の言葉が、なめらかにゆっくりと丘を上がり下がりするとすれば、原の丁寧な東京言葉は、くるくる回る風車のように、音をころがすのです。

 こう言うと顰蹙を買うかも知れませんが、私は原節子をそんなに美人女優だとは思わないのです。けれども、彼女は演技・表情・言葉の表現が、いずれも絶妙なまでに巧みです。小津監督は役者を操り人形のように完全統御することで知られていますが、それはそうなのでしょうけれど、身体に根づいたそれらのスタイルが、完全に監督によって作り出されるということもまた考えられません。特に、一音一音ごとに、音がめくり返って頭の方に抜ける、こう書くとなんとも滑稽な発音のように思われますが、それが決してそうならず、高い様式性を作り出す原の声は、映画史の至宝と思います。

 「ええ人じゃねえ、あんたは」と言って、とみが忍び泣きを始めると、その瞬間、紀子はえも言われぬ複雑な表情を見せます。(ああ、困った)とも、(ああ、いやだ)とも、(ああ、しょうがない)ともつかぬ、戸惑いの表情です。このような表情が、原節子の真骨頂だと思います。この表情の本質は、両義性です。「第3の意味」(ロラン・バルト)ですね。『晩春』でも、縁談を受け入れる承諾の返事を与えた顔は、何とも醜い顔で、表情によって承諾を否認を表していました。もっとも、『東京物語』では、すぐに次のショットに移ります。紀子が電灯を消し、床に入っても、とみの嗚咽は聞こえています。紀子は天井を見つめて目を開けたまま、しかし、2度3度、紀子の喉が動きます。まるで、こみあげてくるものを飲み込むかのように。

 映画の結末近く、とみが急死し、葬式を終えて尾道の家で最後に周吉に別れを告げた時、紀子は、最近は死んだ夫のことを思い出さない日もある、独り身は自分で選んだとはいえ、このまま自分が毎日毎日何もなく行き続けていくことは、何とも言えず怖いことだ、それはお義母さんには言えなかった、と言って、「それでいいんじゃよ」と義父が答え、今度こそ手で顔を被って泣き出すシーンがあります。(このシーンで、原節子の指の長いこと。指の数が10本以上もあるように感じられます。)遡って考えれば、あの戸惑いの表情の答がこれであったとも考えられます。

 この最後のシーンがあるために、やや減殺されますが、紀子は、世界の不条理に堪え続け、与えられた生をあるがままに受容するという、一種の諦念の強さを身に帯びた女性です。それは、長年寄り添った妻の死を淡々と受けとめる周吉とも響き合います。周吉がこれから為すこと、それは、明らかに死の準備でしょう。では、紀子は? ――いずれにせよ、『東京物語』の根底に流れているものが、変えることのできない不条理な摂理としての世界と、その世界にきちんと向き合う人間の秩序への意志であることは動きません。

 言葉の音楽によって奏でられた、不条理な世界との対峙の物語、それが『東京物語』です。これはMG表象文化論への補足ですが、もちろん、小津や『東京物語』について、これだけの言葉で言い尽くすことはできません。