Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

テクストと場所

 1週間後に川端文学研究会というある日、有島武郎研究会のシンポジウムをサボって、私は一人浅草に出かけました。当時はまた鬼のように学会・研究会にこまめに顔を出していたものです。川端の方で、『浅草紅団』を横光利一の『上海』と比較して、都市文芸の観点から論じようと思い、一度は浅草を実地で歩いておこうと決意したわけです。

 前田愛の『都市空間のなかの文学』に収められている「劇場としての浅草」は、『浅草紅団』や堀辰雄の「水族館」を都市空間との関わりから論じたもので、さびれた浅草奥山のたたずまいから筆を起こし、奥山茶屋や木馬館の現在を綴って、川端の昔へと遡行します。もはや、良い悪いを超越して、鼻腔がなつかしい匂いでいっぱいになるような文章です。

 暑い日でした。浅草は例によって大勢の人で、私は汗を拭き拭き、「劇場としての浅草」のコピーを手に、奥山あたりをうろうろと歩き回りました。茶屋はさらに名前を変えていましたが、そこで私は人形焼を買い、ポットから麦茶を出してくれたおかみさんと話をして、その店が元の奥山茶屋であることを確認しました。

「あなたは新聞記者?」
「いいえ、大学で文学を研究してるんです」と言って、私は手にした前田愛のコピーを彼女に見せ、もう一杯麦茶をいただいて浅草を後にしました。木馬館で座員が観客に挨拶するという、午後3時の賑やかさも前田さんが書いている通りで、併せて、記憶にくっきりと残る実地調査でした。

 でも、浅草を知らなかったら『浅草紅団』が読めないかというと、全然そんなことはありません。川端研究会で私は、『浅草紅団』をガイド代わりにして浅草を歩く人はいないし、そうしようと思っても不可能だと述べました。テクストは地図ではなく、さらには、たぶん前田さんが言っていたような「写像」ですらないのです。場所・空間・都市には、本来、意味などというものはない。そこに意味を付与するのは、常に人間であり、テクストの側にほかなりません。

 今、私は、山形庄内を舞台とした傑作大長編小説である、森敦の『われ逝くもののごとく』を読み直しています。加茂、大山、鶴岡、酒田……実在の地名が陸続と現れ、庄内弁(地域・階層ごとの微妙な違いも含め)が活用されます。では、庄内を知らなければこの小説は理解できないのだろうか? まったく逆に、この小説こそが、庄内に新たな意味を与えたのだろうと思います。

 ドストエフスキーを読む大半の人は、ペテルスブルグなんて行ったこともないでしょう。私はカミュのファンですが、パリもオランもよく知りません。今、地域興しに文芸や作家が活用されるのは良い、それは必要なことでもあるでしょう。ただし、それによって、本来、そのテクストが固有に抱えている重要なポイントが損なわれてはならないだろうと痛感します。「お祭」と読書(読解)とは、異なる二つの事柄です。たとえ一部で重なるとしても。