Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

昔、書店というものがあった

 もちろん、今でもあります。しかし、街中の小さな個人経営の書店は、めっきり数が少なくなりました。

 高校時代、授業をサボっては、通りの小さな書店で本を見ていたものです。覚えているのは、一度など、ぶらっと入って文庫本のシャルル・ペロー童話集を手に取り、欲しくなって買ったことがあります。だいぶ後になってからも、隣の席の女の子に、「あのとき、あなたは授業をエスケープして、ペローの本で憂さを晴らしていた」と言われたものです。授業をサボって本屋に行く! そういうことが、別にキザでもなく、普通に行われた頃でした。

(「頃」というのは曖昧ですが、「年齢」「時代」「街」など、そういう曖昧な指示語です。)

 当時の材質のせいでしょうか、文庫本にも、特有の匂いがありました。悪い匂いではありません。また、その表紙や頁の紙の手触り、一歩入り込むと、小さな店なのに外の騒音が一瞬消される、そうした安心感。小さな書店には魅力がありました。

 今や、全国チェーンの大規模書店が、中核都市のどこにも進出して、個人書店の多くは淘汰されてしまったのでしょう。電子書籍が普及して、紙の匂いや手触りもまた、昔のことになるのかも知れません。けれども、考えてみると、幼い日から今に至るまで、私の周りにはいつでも本があって、商売っ気抜きにして、本とともに生きてきたというほかにありません。

 私は、本があるということ、本が提供されるという、一見当たり前のことに感謝したいと思います。どんなものよりも、自分を取り戻すきっかけとなるのは、たとえ、あの匂いや手触りがなくなっても、本にまさるものはないからです。

 ―これは、出版社・書店の集会で講演した際に、話の枕にした話題です。