Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

2010年度第2回 日本比較文学会北海道研究会のお知らせ

=一般来聴歓迎 聴講無料=
■日時 2010年11月20日(土) 14:00開会
■会場 北海学園大学 豊平キャンパス D42番教室(7号館4階)



全体司会 北海道大学 中村三春

*14:00 開会の辞
北海学園大学 テレンクト・アイトル

○研究発表1 14:10-14:50
道教室町時代の物語―お伽草子『不老不死』、『蓬莱物語』、『すゑひろ』について―
千歳科学技術大学 王建康

○研究発表2 14:50-15:30
画家の眼差し―北野武アキレスと亀』のパラドックス
北海学園大学大学院博士課程 井川重乃

○研究発表3 15:40-16:20
都の記憶―芥川龍之介杜子春」論―
北海道大学大学院研究生 高啓豪

比較文学比較文化 名著読解講座 第三回 16:30-17:30
西成彦著『森のゲリラ-宮沢賢治
北海学園大学大学院博士課程 吉村悠介

*17:30 閉会の辞
北海道支部支部長 飛ヶ谷美穂子

(発表要旨は「続きを読む」をクリック)
◎発表要旨

道教室町時代の物語―お伽草子『不老不死』、『蓬莱物語』、『すゑひろ』について―

千歳科学技術大学 王建康

 室町時代の大衆小説ともいえる御伽草子は貴族、将軍ら上層社会から子供婦人など一般庶民にまで広く読まれる短編小説群であり、その数は400種も超える。内容は実にバラエティーに富んでいる。登場人物は神仏、武家、僧侶、芸能者、庶民乃至動物、植物、幽霊などの異類もある。舞台は日本だけではなく、唐土、天筑に広まる。まさに百花繚乱、奇想天外な世界を展開した。御伽草子は文化的にその時代の世相、人情、風俗、宗教的には神仏の影響を反映したと先学が指摘された。しかし、これらの読み物の中には中国土着宗教―道教を色濃く受容したものがあることはほとんど看過されたようだ。
 そこで本発表はお伽草子『不老不死』、『蓬莱物語』、『すゑひろ』を中心に、来世を認めなく、「不老長生」を求める現世利益重視の独特な宗教目標、「服薬求仙」の修行手法及び神仙境思想、神仙位階など道教的視野から作品内容の道教受容及び作者の受容、変容の手法を観察し、さらにこれら道教色の濃いお伽草子の文化背景にも言及したい。

■画家の眼差し―北野武アキレスと亀』のパラドックス― 
  
北海学園大学・院 井川重乃

 北野武の『アキレスと亀』は前作『監督・ばんざい』前々作『TAKESHIS’』に続き「フラクタル」な映画三部作の最後として制作されたことで、他の北野映画と関連性、さらに画家/絵画と監督/映画というメタ映画的な読みが指摘されている。本発表では画家という側面に焦点を当て、『アキレスと亀』における絵画の制作過程とその評価について考察する。 絵画の制作過程において見るという行為は、画家の窃視症的な眼差しによって欲望の対象としてのモデルを位置づけると同時に、性愛的見世物として貶められた女性が見つめ返すことによってモデルの主体性を暴露させる。『アキレスと亀』の主人公である自称画家・真知寿は見るものを欲望の眼差しで捉えておらず、見る・見られるといった二項的な関係は成立していない。真知寿は自分の作品の評価を気にするあまり、有名な画家の模倣・反復を繰り返していく。それが自虐史観的反復(セルフ・オリエンタリズム)となり、画家自身の無感性を露呈する。彼にあるのは見られることに対する過剰なまでの意識であり、評価の高い絵を描こうとすればするほど逆に芸術から遠ざかってゆく。
 今回の発表は北野映画の系譜の一つとして見られがちな『アキレスと亀』を画家映画として他の映画と比較検討することで、『アキレスと亀』のパラドックスについて考えてみたい。

■都の記憶-芥川龍之介杜子春」論―
      
北海道大学・院 高啓豪 

 本発表では、芥川龍之介の「杜子春」原典・唐伝奇「杜子春伝」との比較を触れながら、「杜子春」の背景である盛り場として機能している唐の都「洛陽」(実際、唐の都は長安であった)に都市空間論の視座を据え、再検討していく。主人公杜子春は巨富を得る出世願望、超越した仙人への望みから、ヒューマニズムの大切さを痛感し、最後は普通の人間として暮らす。これは現実の離陸と着陸の夢物語と見ていいと思われる。凡人に戻ることで結末を迎えるこの物語は、繰り返される日常への諦観と普通であることの大切さを示唆する。杜子春という人物像の造形を、芥川龍之介の思想とあわせて検討を試みたい。
 また、物語の末尾に主人公が仙人から「桃の花が一面に咲いてゐる」一軒の家をもらうことで、大正時代に現れ始めた郊外のイメージが喚起され、モダンな生活様式への憧れが見られる。中国唐時代の古典に題材を汲取しながら、大正時代の大衆文化を垣間見せているところも、看過し得ぬ部分であり、この点についても発表で掘り下げてみたい。

比較文学比較文化 名著読解講座 第三回 西成彦『森のゲリラ-宮沢賢治

北海学園大学・院 吉村悠介

 『森のゲリラ 宮沢賢治』(岩波書店、1997)は、刊行されたその年に第7回宮沢賢治賞奨励賞を、翌1998年に第3回日本比較文学会賞を受賞した、西成彦氏の代表的著作のひとつである。
 本書では、「われわれは誰しもがなにがしかの形で植民地人である」という認識から、「植民地文学」「クレオールな文学」という視点で宮澤賢治の童話が読みなおされていく。宮澤賢治の幻想したドリームランド=イーハトヴを、ニンゲンと動物との、異類と異類との相互的な異文化接触がおこなわれる「コロニアルな場」と捉えることで、そこに潜んだ夢ならぬ「悪夢」が暴かれる。本書によって西氏は、日本文学という枠を超え、宮澤賢治カフカコンラッドと同一の地平に立つ「世界文学」として読む可能性を拓いた。本発表では『森のゲリラ』を、同時期に刊行された小森陽一『最新 宮沢賢治講義』(朝日新聞社、1996)や中沢新一『哲学の東北』(青土社、1995)などと比較対照しながら考察していきたい。また、〈植民地としての東北〉という問題に焦点をあて、宮澤賢治の同時代、明治・大正期の東北に関する言説にも目をむけたいと考えている。