Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

根元的虚構

 現実の事態や人の心理内容と、言葉とは必ずしも対応しないことがあります。嘘や虚構がその状態です。私はむしろ、現実や心理と言葉とが対応する機能は言葉にとって本質的ではなく、言葉が言葉じたいを表現することこそ基本的機能であると考えます。

 何かと対応したり、意味を伝達する働きは、言葉にとって重要ではあるけれども、それなしにも言葉は成立します。虚構は言葉にとって特殊な状態ではなく、むしろ本質的である。言葉を発する行為そのものが、何もないところに言葉を生み出す虚構の作用であると言えるからです。言い換えれば、現実や心理という対象と、言葉という表現との間には、決定的な次元の飛躍がある、とも説明できます。虚構は言葉の故郷なのです。

 このような現象を、私は根元的虚構と呼んでいます。それは、一般にいう虚構と真実との両方の基盤を提供します。簡単にすると「すべての言葉は虚構である」ということになりますが、これでは誤解を生じます。言葉が真実であるか否かは、検証の過程を経なければ決められません。たとえば科学が、そのような検証の体系です。検証される水準では、言葉には確かに虚構と真実との区別があります。しかし、それらに共通に、それがたとえ真実であっても、その発話の基盤には、現実と言葉との間を隔てる表現の作用が介在しています。この間隔化の作用が、根元的虚構にほかなりません。

 先鋭な文芸や映画のテクストは、自らの内部に、それ自身の起源であるところの、この根元的虚構を指し示す回路を内在させていることがあります。それはフィクションについてのフィクション、いわゆるメタフィクションであるのはもちろんのこと、そのような意味で、根元的なメタフィクション、純粋メタフィクションと呼ぶことができます。