メトニミー(換喩)
レトリック(修辞学)は、言葉の特異な使用方法の理論です。比喩の理論はレトリックで重要な位置を占めますが、発想・配置や話題の選択などもすべてレトリックの範疇に入ります。さらに、比喩の理論は、歴史上、なぜかメタファー(隠喩)の理論に著しく偏っていて、それ以外の多彩な比喩には、まだよく分かっていないことが多いのです。もっとも、隠喩論も百家争鳴状態なのですが。
ロマーン・ヤーコブソンが『一般言語学』において、比喩をメタファーとメトニミーに代表させ、メタファーを類似性に、メトニミーを隣接性に基づく比喩と定式化したのは、メトニミーの存在を明確にした有力な説です。よく挙げられるのが、「赤頭巾」型と「青ひげ」型で、「赤頭巾」は付属品=接触物で本体を、「青ひげ」は部分で本体を指示するメトニミーです。「杯を空にする」などは、容器で内容物を示す換喩と言われます。
メトニミーの概念を大きく拡張したのが、佐藤信夫『レトリック感覚』で、接触や部分などの隣接性だけでなく、隣接性は広く縁故や因果関係などとしてもよいというのです。「茶碗蒸し」は、換喩的な命名です。茶碗と中身とは、容器と内容物との関係にあり、典型的な換喩的表現ですが、それに加えて、蒸して作る、という因果関係も織り込まれています。「茶碗蒸し」には、比喩ではない本来の名前はありません。(たぶん、ないでしょう……。)このように換喩は、けっこう身近なところで活躍しています。
隣接性、容器/内容物、因果関係などを押し広げていけば、結局、この世界すべてが得られることになります。あらゆるものは、他の何ものかと隣接しているのですから。すべての対象は、何かと何かの間にある、という意味では、すべてのものはメディア(medium=媒介物・中間物)であるとも言えます。とすれば、メトニミー的な表現は、メディア論やサイバネティックスなど、情報環境として世界を理解し生成する際に、大きな効果を発揮しうるのです。
それは、情報環境のあり方や、情報の伝達過程の情報を、情報に付け加えるか、あるいは、情報のメッセージに取って代わるレトリックです。メトニミーも、メタファーとは別の仕方で、しかし、人間による世界の認知や生成に重要な機能を果たすのです。
ロマーン・ヤーコブソンが『一般言語学』において、比喩をメタファーとメトニミーに代表させ、メタファーを類似性に、メトニミーを隣接性に基づく比喩と定式化したのは、メトニミーの存在を明確にした有力な説です。よく挙げられるのが、「赤頭巾」型と「青ひげ」型で、「赤頭巾」は付属品=接触物で本体を、「青ひげ」は部分で本体を指示するメトニミーです。「杯を空にする」などは、容器で内容物を示す換喩と言われます。
メトニミーの概念を大きく拡張したのが、佐藤信夫『レトリック感覚』で、接触や部分などの隣接性だけでなく、隣接性は広く縁故や因果関係などとしてもよいというのです。「茶碗蒸し」は、換喩的な命名です。茶碗と中身とは、容器と内容物との関係にあり、典型的な換喩的表現ですが、それに加えて、蒸して作る、という因果関係も織り込まれています。「茶碗蒸し」には、比喩ではない本来の名前はありません。(たぶん、ないでしょう……。)このように換喩は、けっこう身近なところで活躍しています。
隣接性、容器/内容物、因果関係などを押し広げていけば、結局、この世界すべてが得られることになります。あらゆるものは、他の何ものかと隣接しているのですから。すべての対象は、何かと何かの間にある、という意味では、すべてのものはメディア(medium=媒介物・中間物)であるとも言えます。とすれば、メトニミー的な表現は、メディア論やサイバネティックスなど、情報環境として世界を理解し生成する際に、大きな効果を発揮しうるのです。
それは、情報環境のあり方や、情報の伝達過程の情報を、情報に付け加えるか、あるいは、情報のメッセージに取って代わるレトリックです。メトニミーも、メタファーとは別の仕方で、しかし、人間による世界の認知や生成に重要な機能を果たすのです。