Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

シミリー(直喩)

 馴染みの深い比喩であるのにもかかわらず、シミリー(直喩)の理論は遅れています。「銀河鉄道の夜」から引っ張ってきた次の文を例に借りて、直喩の概説をしてみます。

(1)「僕は立派な機関車だ」(隠喩)
(2)「僕は立派な機関車のようだ」(直喩A)
(3)「僕は立派な機関車のように速く走る」(直喩B)

 (1)と(2)の構文上の違いは、「のようだ」という直喩指標(直喩であることを示す語句)の有無だけです。直喩Aは、隠喩型の直喩と言えます。それに対して、(3)の直喩Bでは、「機関車」というメンバーが「速く走る」クラスに属することが明示されます。こちらは提喩型の直喩です。

 隠喩と直喩との間に互換性があるように見えるのは直喩Aの場合で、それにしても全く同一ではありません。「のようだ」には婉曲・緩和の意が介在しますから、断定とはニュアンスが違います。そして直喩Bよりも、隠喩や直喩Aの守備範囲は広く、互換性はより希薄となります。「機関車」の属性は、ただ「速く走る」だけではなく、「機械」「鉄道」「蒸気機関」「黒い」など、無数のパラディグム(範列)に繋がっていますから。

 直喩指標は、「……のようだ」「……のように」だけでなく、「……らしく」「……よろしく」「……みたいに」「……っぽく」などたくさんあります。グループμ『一般修辞学』にはおもしろい指摘があって、それによると、最上級や比較級もまた、直喩を作る指標となりうるというのです。「夜の暗さよりも暗い気持ち」の場合、「気持ち」は「夜の暗さ」に喩えられるが、その程度はそれよりもいっそう暗い、ということです。すなわち、最上級や比較級は、直喩の強調形を作る直喩指標であるということになります。

 ついでに言うと、直喩は隠喩・提喩と関わりの深い、カテゴリー変換を核心としていて、物理的隣接関係に基礎を置いた換喩とは違います。「赤頭巾のような娘」「青ひげのような男」では、「赤頭巾」や「青ひげ」に元々あった隣接性は消えてしまい、類似性に席を譲ってしまいます。

 教室で隠喩・提喩・換喩の例を挙げようとすると、言葉に詰まることがあります。とっさには思いつけません。ところが、直喩ならば容易に作れます。そして、直喩こそ「発見的認識」(佐藤信夫)の効果をまざまざと見せつける、身近な比喩であると言えるのです。