Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

先行研究への対応

 論文の書き方や、演習発表の準備において、多くの学生から聞くことのできる感想が、「他人の論文を読むと納得させられてしまい、自分の考えを独自に表明することができなくなる」というものです。誰しも、感じたことのある思いだろうと思われます。

 他人の意見に賛成だと思うことは、別に悪いことではありません。しかし、論文を書く以上は、他人の意見とは違う自分の主張を行うのが当然です。いくつも先行研究を紹介して、それが全部正しいと述べるだけでは意味がありません。研究史を書く際であっても、先行研究を羅列するのではなく、それらに対する論評が求められるのです。

 もちろん、多くの場合、先行研究の筆者はその分野の専門的研究者であるわけで、それぞれ、それなりの理論と実証の基盤の上に論を展開しているはずです。従って、そう簡単に論破されるほど安易には論じていないでしょう。逆に、初学者にいとも容易に批判されるような論者は、早いとこ商売替えをした方がいいようです。

 ところで、正直に言いますと、私は、この仕事を始めてからというもの、自分の専門分野に関して、他人の意見に賛成だと思ったことは、ただの一度もありません! けっこういいな、と感じることはあっても、厳密に一致することはまず、ありえないと思っています。学会や書評では、相手を賞めるようなことを言うことが多いのですが、それは、不一致の深刻さの裏返しというニュアンスが強いのです。

 それはそうでしょう。2人として同じ人はいません。2つとして、同じ解釈はないはずです。同じだと思ったら、それは先行研究の論法によって幻惑されているか、あるいは単に、あなたによる先行研究の読み取り方が間違っているのです。いくら年功の差があったとしても、相手は同じ人間です。テクストの受容に完璧などということはありえません。

 当然、学ぶ=倣う段階というものはあるでしょう。けれども、いざ論文を書く段階になったら、あらゆる先行研究を疑ってかかり、それとの対決において、あなたの説をふくらませてください。批評的に取り扱うべきなのは、何も論ずるテクストだけではありません。ちょっとした態度の変更によって、その説得力を相対化する道が開けてくるはずです。