小説(ジャンル)
小説は、他の言語形式をジャンルとしてパロディ化し、次々と取り込んでいくジャンルである、だから小説は、未だ発展途上の、未完成のジャンルである。このように主張したミハイル・バフチンの『叙事詩と小説』は、小説というジャンルの論議を大きく進めたように思われます。
しかし……これはいったい、ジャンルの定義と言えるでしょうか? 小説はどんどん変化するジャンルなのだよ、と言うのは、小説に確固としたジャンル定義を与えることは不可能だ、と言うのと同じではないでしょうか?
ジャンル、様式、美的理念などは、美学・芸術学に基づく文芸学においては基本となる観点ですが、まあはっきり言って、抒情・叙事・劇の3基本ジャンル区分とか、これを正・反・合(主観・客観・合一)にあてはめたヘーゲル美学とか、読解の場において、実際にはほとんど有効に機能することはありません。それは個々のテクストのためにあるというよりは、美学的体系じたいのためにあるのです。
むしろ、近代文学において問題となるジャンル論は、多くの場合が小説ジャンルの定義と下位区分についてであり、それ以外は詩のジャンル的変成についてであると言っても過言ではありません。
極言すれば、小説ジャンルの定義を考えるときこそ、ジャンル論は初めて新たな段階に突入するのです。そして、他の言説をパロディ化して変化する、プロセスそのものにジャンルの定義を求めるということは、確定した外見や形式によってジャンルを分類する、伝統的な実体論的ジャンル観が、少なくとももはや有効ではないことを意味します。
それではそもそも、ジャンルとは何でしょうか? それは、いかなる目的のために設定されるのでしょうか? ここにもまた、根元的虚構論、フレーム理論、係争の理論などを適用することはできないでしょうか? (to be continued)
しかし……これはいったい、ジャンルの定義と言えるでしょうか? 小説はどんどん変化するジャンルなのだよ、と言うのは、小説に確固としたジャンル定義を与えることは不可能だ、と言うのと同じではないでしょうか?
ジャンル、様式、美的理念などは、美学・芸術学に基づく文芸学においては基本となる観点ですが、まあはっきり言って、抒情・叙事・劇の3基本ジャンル区分とか、これを正・反・合(主観・客観・合一)にあてはめたヘーゲル美学とか、読解の場において、実際にはほとんど有効に機能することはありません。それは個々のテクストのためにあるというよりは、美学的体系じたいのためにあるのです。
むしろ、近代文学において問題となるジャンル論は、多くの場合が小説ジャンルの定義と下位区分についてであり、それ以外は詩のジャンル的変成についてであると言っても過言ではありません。
極言すれば、小説ジャンルの定義を考えるときこそ、ジャンル論は初めて新たな段階に突入するのです。そして、他の言説をパロディ化して変化する、プロセスそのものにジャンルの定義を求めるということは、確定した外見や形式によってジャンルを分類する、伝統的な実体論的ジャンル観が、少なくとももはや有効ではないことを意味します。
それではそもそも、ジャンルとは何でしょうか? それは、いかなる目的のために設定されるのでしょうか? ここにもまた、根元的虚構論、フレーム理論、係争の理論などを適用することはできないでしょうか? (to be continued)