Project M Annex

日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

第4回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会のご案内

■日時 2012年2月18日(土)13時~17時30分
■会場 立命館大学 衣笠キャンパス 学而館 第3研究会室

《来聴歓迎》

□研究発表
1 小説『山宣』と映画『武器なき斗い』における山本宣治像の研究
立命館大学大学院博士後期課程 雨宮 幸明
2 50年代における「白蛇伝」の受容 ―漫画映画『白蛇伝』を中心に―
立命館大学大学院研究生 禧美 智章

□ラウンドテーブル
1 安部公房作品の「子供」考 ―ネオリアリズモおよびチャップリンとの比較から―
立命館大学非常勤講師 友田 義行
2 古典の近代化という問題 ―〈原作〉の記号学
北海道大学大学院教授 中村 三春
3 “調和”の物語を紡ぐのはなぜか ―1950年代短編アニメーションの脚色から探る―
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)
○発表要旨

[研究発表1]小説『山宣』と映画『武器なき斗い』における山本宣治像の研究
    雨宮 幸明 
 山本宣治は戦前の無産階級に支持され活躍した代議士である。1959年に発表された西口克己の小説『山宣』は山本薩夫監督による映画『武器なき斗い』(1960年)の原作となり、戦後の新たな山本宣治像を生み出す契機となった。戦後に忘れ去られようとしていた山本宣治は小説、映画というメディアによって大衆化されたが、この山本宣治像の復活はどのように行われたのか。本発表は小説と映画における山本宣治像の変遷とその大衆化の意義について考察したい。

[研究発表2]50年代における「白蛇伝」の受容
 ―漫画映画『白蛇伝』を中心に―
禧美 智章  
 本論では、漫画映画『白蛇伝』(東映動画 1958年)を取り上げる。本作は、中国古典の「白蛇伝」を題材としたものであったが、『白蛇伝』公開前の1956年には、豊田四郎が映画『白夫人の妖恋』を発表している。これは、同じく「白蛇伝」に材をとった林房雄の原作(『白夫人の妖術』)を八住利雄が脚色したものである。
 この時代に、相次いで「白蛇伝」がなぜ映像化されたのか。また、「東洋のディズニー」を標榜した東映動画がなぜ第一作の題材に「白蛇伝」を選択したのか。文学、映画、アニメーションの相関関係から迫っていきたい。

[ラウンドテーブル1]安部公房作品の「子供」考
 ―ネオリアリズモおよびチャップリンとの比較から―
友田 義行  
 安部公房は1950年代後半から60年代前半にかけて、〈子供〉を重要な役回りにした作品を多く発表している。この傾向は、勅使河原宏監督との協働映画にも一貫していく。なぜ安部は〈子供〉に特別な関心を抱いたのか、安部が描く〈子供〉にはどのような特徴があるのか。1950年前後に日本で集中的に公開されたイタリアン・ネオレアリズモ作品や、チャップリンの映画、そして同時代の記録文学論との関わりから考察する。

[ラウンドテーブル2]古典の近代化という問題
 ―〈原作〉の記号学
中村 三春  
 近代テクノロジーと資本主義の所産である映画は、古典文学を多くの場合において何らかの形で近代化することによってポピュラリティを獲得する。
 第3回ラウンドテーブルにおいて、溝口健二監督『雨月物語』が《複数原作》と《遡及原作》の原理に従い、原作(群)を溝口監督のいわゆる女性映画へと変換したメカニズムを分析してみた(内容は『層』第5号に掲載予定)。今回は、黒澤明羅生門』や溝口『近松物語』などの著名作品を例に取り、古典文学の映画化において、伝統と近代(現代)との関連が、いかなる継承と変異によって統御されるかを考えてみたい。

[ラウンドテーブル3]“調和”の物語を紡ぐのはなぜか 
 ―1950年代短編アニメーションの脚色から探る―
米村みゆき  
 東京都国立近代美術館フィルムセンター所蔵の日本の童話、昔話等を原作とする1950年代の短編アニメーション作品は、十数本存在する(視聴可能なもの)。それら原作を有する物語は、広く人々に認知されている作品が少なくないのだが、原作が奇妙なかたちで歪められたり、ある一定の方向へと逸脱してゆく。それらは、なぜか“調和”の物語を紡ぐのだ。たとえば、『こぶとり』(持永只仁監督、1958年)のような、多くの人々にその物語が流布しているテクストが「脚色」されているという事実は、脚色の様相をあえて露見させる何かの作用、あるいは同時期の観念の体系に強固に牽引されたことが想定される。一方、『黒いきこりと白いきこり』(藪下泰司監督、1956年)は、敵対関係にあった人と動物がやり直す物語、“仮定法”としての関係修復の物語を提示する。発表では短編アニメーションの脚色に働くコンテクストを丁寧に辿ってゆきたい。