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日本近代文学・比較文学・表象文化論の授業や研究について、学生や一般の方の質問を受けつけ、情報を発信します。皆様からの自由な投稿を歓迎いたします。(旧ブログからの移転に伴い、ブログ内へのリンクが無効になっている場合があります。)

(再変更)【会場再変更】第5回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会案内

2012年6月19日更新
■日時 2012年6月23日(土)13時~17時30分
■会場 北海道大学 経済学研究科棟3階301会議室

《来聴歓迎》

□特別研究発表
浮雲』における2つの戦後
山形大学専任講師 大久保清
   〈コメンテーター〉
北海道大学大学院准教授 阿部 嘉昭

□研究発表
特集 映画において〈原作〉とは何か
〈原作〉には刺がある ―1950年代日本映画における日本文学―
北海道大学大学院教授 中村 三春
野間宏他著『文学的映画論』の位置
立教大学特別研究員(PD) 友田 義行
アニメーション映画における「原作」の効用 ―1950年代テクストを探るために―
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック) 【発表要旨】

[特別研究発表]『浮雲』における2つの戦後
  大久保清 
 成瀬巳喜男監督の『浮雲』は、高峰秀子演じるゆき子が引き揚げ船から降りたつ埠頭から始まる。その暗鬱たる光景は日本の敗戦を象徴し、映画のトーンを規定する。しかし実のところ、これは或る別の映画―1946年2月6日に上映された『日本ニュース』―から流用されたものである。製作者は映画評論家の岩崎昶。それゆえ成瀬の代表作は、実質的に、岩崎の「作品」で始まることになる。このことから何がいえるか。それは、『浮雲』が公開された1955年の日本が、もはや敗戦直後の戦後とは異なる時代に移行しつつあったということである。映画の中の「戦後」が再現されたものであることは様々な証言から明らかだ。小熊英二は、45年から55年までを「第一の戦後」、55年以降を「第二の戦後」と区分しているが、『浮雲』ではこの2つの戦後との間で重複と齟齬が生じている。本発表では、2つ戦後のあいだで揺れる『浮雲』の特異性について論じる。

◇特集 映画において〈原作〉とは何か

[研究発表1]〈原作〉には刺がある ―1950年代日本映画における日本文学―
中村 三春  
 映画における〈原作〉現象は単純な生成過程ではない。本研究会のラウンドテーブルにおいて、これまで一貫して原作・シナリオ・映画相互間のずれや逸脱、あるいは遡及性や複数性などの多様な回路を問題としてきた。もっとも、映画において〈原作〉の認知は必須条件ではない。観客は必ずしも〈原作〉を参照して映画を見るのではない。分析の上からも、制作学的観点において〈原作〉は重要な契機となるものの、享受学の立場からするならば必ずしもそうではない。映画の場合も、文芸と同じく、制作と受容は対称形とはならない。しかし、受容の様態に条件を付すこともまたできない。映画において〈原作〉を認知するのは、観客に許された権利である。とすれば、〈原作〉参照という受容方法は、他の受容方法と比べてどのような機能を獲得するのか。今回は、これまで論じてきた豊田四郎溝口健二らの監督作品に加えて、特に木下恵介監督による深沢七郎原作二部作である『楢山節考』(1958)と『笛吹川』(1960)を例に採り、映画における〈原作〉の意味・機能について、再び根底から考えてみたい。〈原作〉には刺がある。

[研究発表2]野間宏他著『文学的映画論』の位置
友田 義行  
 1957年、『文学的映画論』という論文集が刊行された。本書には筆頭著者として名が挙がっている野間宏のほか、佐々木基一埴谷雄高椎名麟三らが稿を寄せており、映画と文学が横断的に論じられた。その中には、のちに「偶然の問題」と改題される花田清輝の「映画監督論」や、花田の影響を色濃く受けながら記録文学論を展開していた安部公房の論も含まれている。本発表では、当時注目された〈偶然性〉という方法論を吟味するための基礎作業として、本書の執筆陣が提示した文学/映画論を整理したい。

[研究発表3]アニメーション映画における「原作」の効用 ―1950年代テクストを探るために―
米村みゆき  
 1940年代から1960年代に制作された原作、原案があるアニメーション映画を分類するとき、アンデルセン童話、イソップ物語グリム童話、浦島太郎や桃太郎等の昔話、かさじぞう等の日本民話など周知の物語が用いられている傾向が見受けられる。そして1950年代の短編アニメーションのいくつかには、それらが「調和」の物語を紡ぐようなかたちで、原作が一定の方向へと脚色されている特色が見受けられた。今回の発表では、1940年代および1960年代の短編アニメーションと原作との関係を参照することで1950年代のアニメーション映画の特異性と同質性を探ることを目的とする。同時に、脚色する際になぜ人口に膾炙している物語を用いるのか、すなわち、アニメーション映画における「原作」の効用、役割を検討してみたい。この試みは、『桃太郎の海鷲』(1942)『桃太郎・海の神兵』(1944)など戦意高揚に用いられたアニメーションがタイトルに「桃太郎」と冠されたこととどう切り結ぶのかについても視野に含めている。